Rock

B’z「SURVIVE」

 

 

B’z
SURVIVE
1997

 

高濃度に凝縮されたジャパニーズロックの名盤

けたたましい心臓の鼓動に合わせて後ろで鳴らされる救急車のサイレンからスタートする冒頭M1「DEEP KISS」からラストトラック「Calling」に至るまで、一貫したロックンロールの緊張感が張り詰めたアルバムです。松本のリフとソロも冴え、HR/HM由来の攻撃性と抒情性の双方を持ち得た一方で、稲葉の歌唱も前作「LOOSE」に比してその完成度を増し、B’zとしての「ロック」が爆発、松本と稲葉の二人でなければならない理由が、確固たるサウンドとなって襲いかかります。稲葉のHRヴォーカリストとしての高音も綺麗に澄み、しなやかさと強さの両極を持ち、ハードロックというジャンルに収まりきらぬB’zだけの音が鳴らされているのも嬉しいです。

しかしながら、ヘヴィであることそのものに内在するのは、稲葉の繊細ともとれる一種のセンチメンタリズムのようで、言い様のないロックの魔力が全編に至り放出されている紛うことなき「名盤」です。一方B’zというバンドをやや俯瞰して見た時に、本作が孕むのは「『ポップミュージックの文脈におけるB’z』と『相対的なロックバンドとしてのB’z』が見事に中庸、同居している様です。故にメロディそのものの良さと、ロックとしての足元を双方得てしまったアルバムでもあります。

また、貫徹するロックンロールの中にも、多彩で鮮やかな色どりが添えられ、何かのジャンルに固執することを許さないある意味での自由さのようなものを感じさせます。加えてB’zのアルバムの中では取り立ててオルタナティヴなざらつきを感じられるのも本作の特異な点の一つです。

 

B’zがB’zとして存在する証左

M3「SURVIVE」、M5「ハピネス」、M8「泣いて 泣いて 泣きやんだら」などの良質なロッカバラードが生まれ、そして隠れきっているM9「CAT」の放つ妖艶な存在感──、M11「Shower」、ラスト「Calling」で大団円を飾るのも美しく、アルバムとしての順序と完成度もひと際高い本作。しかし、それでありながら、決して退屈な印象を一切与えない松本の”骨に響かせる音楽”が、一種の職人的な耳ざわりとして聴く者に伝わってきます。

また、タメと余裕を十分に魅せ、ブラックミュージック由来のファンクネスと猥雑なグルーヴを放つM10「だったらあげちゃえよ」の存在感は白眉で、あらゆるジャンルを飲みこみ咀嚼し放出するB’zというロックバンドの完成形を見た気がするのも確かです。

僕は基本的に何かを誉めるために他のものを貶めようとするのは間違っていると思っていますが、しかし、それでもラストに添えられた「Calling」は近年、軽薄に消費されているポップミュージックとはやはり一線を画し、確固たる普遍性と時代を選ばない絶対的な魂が宿っているように感じられます。本人たちが明言しているわけではない(と思う)ので、詞についての言及はしたくないですが「きみがいるなら戻ってこよう いつでもこの場所に」「けがれなき想い」「必要とし必要とされていること それがすべて 他には何もない」というリリックは、強烈に心に響きます。「言葉よりはやく わかりあえる」というのが、一体どのような関係を示しているのかは分からないですし、その対象も分かりません。しかし、本作こそB’zから一人一人のリスナーに送られる「言葉よりはやい音楽」であり、それ以上でもそれ以下でもないことは確かです。

また、形をとどめることなく変化していく”あっという間”の現代社会の潮流の中に晒されても、決して揺らぐことなく、礎のように佇むアルバムが本作であり、僕にとって、誰かにとっての人生の一部になり得たことは疑いようがありません。まるですぐにでも僕が死ぬかのような言い方ですが、奇跡的な確立で本作に出会い、聴けて、これからも聴き続けることができることは、何物にも代えがたい財産です。故に本作はB’zのものではなく、僕のもの、あなたのものだと思います。

 

 

B’z「IN THE LIFE」

B’z 「ELEVEN」


OMOTE TO URA E-SHOP
CONTACT
ワダアサト