INABA / SALAS
CHUBBY GROOVE
2017
グルーヴの為の一作だが…
P Funk:Parliament、Funkadelicを率いたジョージ・クリントンの正統なラインに佇むギタリストStevie Salasが、かねてからの友人であるB’z稲葉浩志を招いて制作されたアルバムです。CHUBBY GROOVEというタイトルが示すように、Salasが得意としてきた”ファンクをハードに突っ込む”といった、芸の細かいところを半ば無視する形で、グルーヴのみに焦点を当てた一枚が本作でした。その為、言語化する作業が大変難しい一枚であり、良くも悪くも右から左へと流れていくアルバムのように感じられます。
RECにおいては東京の他、USはロス・ワシントン・ホノルル…etc、カナダはトロント、韓国はソウル、コスタリカはサンホセ…。RECの面々はテイラー・ホーキンス(Foo Fighters)、スチュアート・ゼンダー(Jamiroquai)、マット・ソーラム(GN’R)、アンプ・フィドラーなどの豪華錚々たるミュージシャンが参加しました。グローバルに各地を渡り歩いてきた渡り鳥のようなギタリストStevie Salasだからこそ成せる選択でした。
しかし、リズムの人、Salasが全体のサウンドを率いて、気持ちの良いグルーヴを生み出すという心意気にあふれたアルバムであることは確かな一方で、僕自身が後年に渡って聴き続けるか、という問いには、答えを窮してしまうのもまた事実でした。
ファンクでもハードでもない
さて、本作が掲げているのはダンサンブルなグルーヴであるわけですが、残念ながら個人的には彼らの2nd「Maximum Huavo」の方が遥かに”躍れる”ロックが奏でられているように思います。本作はブラック・ミュージック特有の土臭さと、ファンクのリズム、Salasのギターがピックアップされておらず、只々ポップに構築された「J-POP」の域を出ないように思います。これは、やはりサラスであることの必然性のようなものが希薄であることの証左のように感じられました。
しかし、M1「SAYONARA RIVER」~M2「OVERDRIVE」における一部の英語詞が、完全に音楽の一部として機能していることは、稲葉浩志というヴォーカリストの新しい一面をみた気がします。次曲M3「WABISABI」はBaがグルーヴの中心に位置する楽曲ですが、やはりドラムスの出音が完全にポップに振り切れており、好みのサウンドではありませんでした。これは本当に「好み」の問題だと思います。次曲M4「AISHI-AISARE」は本作の中核となる楽曲ですが、こちらはポップの側面をSalasのメロディで補い、続く「シラセ」は稲葉のポップシンガーとしての側面を強調した楽曲でした。しかしながら、やはり全く違うドラマーがそれぞれの楽曲を叩いているので、いくらグルーヴが中心とはいえ僕には違和感が残りました。
ですがM6「ERROR MASSAGE」~M9「MARIE」までの楽曲は、ややSalasらしいファンキーな感触が連鎖し、気持ちの良いグルーヴが紡がれています。特に「MRIIE」の気持ちよさ・爽快な感覚は圧倒的で、グルーヴのエクスタシーのようなものが最後まで持続します。また「打ちのめしておくれ」「もてあそんでおくれ」「壊されたいんだよ」などの稲葉系ドMの精神が充満・暴発している様は、一種の稲葉の様式的な展開のようにも感じました。
サウンド的なポイントを置いておいて稲葉詞を俯瞰した時、良い意味における「意味の排除」が特徴的で、これは確かに新しい詞世界かもしれないと思いました。特にM11「BLINK」の暗澹たる懊悩は「赤い河」を彷彿とさせます。そして静かなバラードM11を経て、唯一テイラー・ホーキンスが叩いているM12「TROPHY」で本作は幕を閉じます。イントロ・サビのDrのヘヴィさ(多分テイラーがそこのみ叩いている)は本作では異端ですが、個人的には素晴らしいテイクだと感じています。
いずれにしても、Stevie Salasが、稲葉浩志が、新たなる境地へ挑んだ作品であることは間違いありません。是非とも聴いてみてください。