2019年5月1日、日本の元号が平成から令和へと移行する。そこで、今日は去り行く平成をピックアップし、そのファッション史を振り返っていきたい。(只今ウェブサイトはメンテナンス中です。)
1989年1月7日、昭和天皇が崩御され、翌1月8日に改められた元号「平成」。平成ではレコードからCDへ、CDからダウンロードへ音楽の産業の在り方も変わり、人々の音楽消費のシステムも大きく変わった。今日は日本のロックの歴史に加え、ロック界で起きた事件などもその背景とともに振り返っていきたい。(非常に長い記事です)
①平成直前の音楽史(~88年)
②B’z、ミスチルがデビュー(89~92年)
③ビーイングと小室ファミリー(93~95年)
④V系バンドとハイスタ登場(90’s後半)
⑤フェスへの移行(00’s前後)
⑥ロキノン系の躍進(00’s後半)
⑦2010年代のロック(10’s)
⑧ようこそ、令和!
①平成直前の音楽史
70’s後半~80’s前半
1970年後半から1980年代前半にかけ、第一次バンドブームが起きる。この頃活躍していたのが忌野清志郎をリーダーとするRCサクセションである。特に忌野清志郎は平成にかけて行われるライブやコンサートのパフォーマンスに多大な影響を与えた。
忌野清志郎(出典:https://entertainmentstation.jpより)
そして1978年にサザンオールスターズが勝手にシンドバッドでデビューを飾る。この頃には歌謡曲からポップス、ロックがヒットチャートに入り込むようになる。
1981年には宮本浩次を中心としてエレファントカシマシが結成される。更にLAZYから高崎晃、樋口宗孝を中心としたメタルバンドLOUDNESSがデビュー。LOUDNESSは85年に『THUNDER IN THE EAST』をリリースすると、その勢いを保ったままMötley Crüeの前座を務めた。
LOUDNESS(出典:http://marchvladness.comより)
80’s後半
80年代の後半からは第二次バンドブームがバブル時代と重なるように起きる。この一連の流れを牽引したのは氷室京介、布袋寅泰を中心としたBOØWYである。BOØWYはメディアとも距離を保ち、そのビジュアル面でも後進のバンドに大きな影響を与えた。
BOØWY(出典:http://gawa-yandere.hatenablog.comより)
また、同時期に活躍したのは大友康平率いるHOUND DOG、小室哲哉率いるTM NETWORKなどであり、加えてレベッカ、RINDBERG、プリンセスプリンセスなどである。
1985年にはTHE BLUE HEARTSがリンダリンダでデビュー。独自の日本語ロックを確立し、後にTRAIN-TRAIN、情熱の薔薇などのヒット曲を量産。パンクロックを基軸にした稀有なバンドだったと言える。
1986年には奥田民生を中心としたユニコーンがデビュー、翌87年にはBLANKEY JET CITYが結成された。
翌87年にはDavid Bowieなどから派生したグラムロックの濃い影響を受けたバンド・ZIGGYや、B’zの丁度1年前にデビューしたBUCK-TICKなどが揃ってデビュー。日本のバンドカルチャー全体の底上げがなされた。
②B’z、ミスチルがデビュー
昭和の終わり
昭和から平成に変わる、ほんの数か月前(1988年)にB’zがデビュー。TM NETWORKや浜田麻里のサポートギタリストを務めていた松本孝弘が長門大幸氏(ビーイング創業者)からヴォーカルの稲葉浩志を紹介されたことにより結成された。バンドブームが続く中、ギタリストとヴォーカルというコンパクトなスタイルは当時の風潮の中では異質だった。
B’z(出典:B’z Official Facebookより)
そして1989年1月7日に昭和天皇が崩御されると、元号は昭和から「平成」へと移行。
平成の幕開け
その年の4月にメジャーデビューをしたのがX JAPANである。同年9月に紅をシングルカットし、業界から賛否の声が上がる中、積極的なメディア露出が功を奏し、ヴィジュアル系バンドは浸透していった。
また同時期には吉川晃司と布袋寅泰のユニット、COMPLEXが結成された。
X JAPAN(出典:https://renote.jpより)
そして1989年にはUSから派生したサイケデリックなカルチャーを投影したバンド、ゆらゆら帝国が結成される。彼らは当時アンダーグランドだったサブカルチャーに多大な影響を及ぼした。
また91年にはスピッツがメジャーデビュー。草野マサムネをはじめとしたメンバーはHR/HM寄りの音楽が好きだったとされるが、フォークを自身の音楽に取り入れ、独自のオルタナティブロックを確立していく。
スピッツ(出典:http://mizuame-wataame.hatenablog.comより)
また同年に結成されたのがチバユウスケを中心としたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTである。
1992年以降
また89年に結成され、1992年にメジャーデビューをしたのがMr.Childrenである。94年の5枚目のシングル、innocent worldでオリコンチャート初登場1位を獲得し、その後は日本のポップス、ロック界に多大なる影響を与え続けている。
Mr.Children(出典:Mr.Children公式ウェブサイトより)
そして同年、メジャーデビューを果たしたのがTHE YELLOW MONKEY、LUNA SEAである。
90年~92年にかけてヒットしたのはサザンオールスターズの真夏の果実や、米米CLUBの浪漫飛行、THE BLUE HEARTSの情熱の薔薇、浜田省吾の悲しみは雪のように、B’zのBLOWIN’などである。
また92年にはヴォーカルにYUKIを迎えたJUDY AND MARYが結成され、翌93年にPOWER OF LOVEでメジャーデビューを果たす。
同年、ウルフルケイスケ、トータス松本を中心としてウルフルズもメジャーデビュー。
③ビーイングと小室ファミリー
1993年~ビーイング
1993年からチャートの上位を占めたのが株式会社ビーイング(Being, Inc.)のアーティストである。TUBEのシーズンインザサンを先駆けとし、B’z、ZARD、B.B.クィーンズ、T-BOLANなどがチャートの上位を占め、後にWANDS、大黒摩季などのヒットへと繋がっていく。
1995年~小室ファミリー
95年にはTM NETWORKの小室哲哉が音楽プロデューサーとして頭角をあらわしはじめる。TRF、篠原涼子、ダウンタウンの浜田雅功などの楽曲がメディアによってフューチャーされるようになり、いわゆる小室ファミリーによって一連のブームが起きる。その流れは後に安室奈美恵、華原朋美等へ続く。
この頃のヒット曲はB’zの裸足の女神、LOVE PHANTOM、ZARDの揺れる想い、負けないで、ミスチルのTomorrow never knows、シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~、スピッツのロビンソンなどである。
BOØWYとB’zによるロック色の強いスタイルと、ダンスビートを主軸にした小室サウンド、オーディエンスとメディア、アーティストが協業体制をつくることで、音楽業界は最盛を迎えた。同時にCD売上はピークとなり、音楽産業の超発展によって、広告業界とのタイアップ戦略が増えていき、その中で相互的に業界は成長していった。
④V系バンドとハイスタ登場(90’s後半)
1996年~
94年にメジャーデビューをしたバンドがGLAYである。96年に発売された3枚目のアルバムBELOVEDでミリオンセールスを記録すると、ベストアルバムの売上も好調のまま、爆発的な人気となった。翌97年にはHOWEVER、誘惑などのヒット曲を量産し、ヒットチャートに載る国民的バンドへと成長した。
GLAY(出典:https://wizy.jpより)
また彼らと人気を二分したのがⅬ’Arc〜en〜Cielであり、HONEYやHEAVEN’S DRIVE、火葬などの楽曲をコンスタントに生み出し、ミリオンセールスも記録した。HRに留まらずUK、ハードコア、ニューウェイヴなどからも影響を受けており、第三次バンドブームを牽引した。同時にYUKI率いるJUDY AND MARYのそばかすが大ヒットする。
1998年
くるりをはじめとしたバンドが活躍し、一方で小室系譜の安室奈美恵などのポップスの旗手が活躍する中、その反動の影響でR&B、ソウルを主軸にMISIAが登場。続いて宇多田ヒカルがAutomatic / time will tellをリリースする。そして化け物アルバムFirst Loveをリリースし、その地位を確立。
その裏ではインディペンデントなパンクからの流れでHi-STANDARDが誕生し、現在のバンドシーンに通ずるオルタナティブロックに影響をうけたバンドが登場しはじめる。それがナンバーガール、くるりである。
Hi-STANDARD(出典:http://hi-standard.jp/より)
そして同年、細美武士をフロントマンに迎えELLEGARDENが結成され、エモくてラウドなタイプのロックバンドが誕生する。メロディックでディストーションのかかったギター音はGreen Dayにはじまり、日本国内ではHi-STANDARD、ELLEGARDENなどのバンドに流れていく。
またこの年にはB’zの一枚目のベストアルバムB’z The Best “Pleasure”、”Treasure”が発売され計1000万枚の売上を記録。
⑤フェスへの移行(2000年前後)
2000年~
2000年を境に、日本国内においてロック・フェスティバルが活性化。97年に山梨県で開催されたFUJI ROCK FESTIVAL、AIR JAM、99年にはRISINGSUN ROCK FESTIVALが、2000年にはSUMMER SONICとROCK IN JAPAN FESTIVALが初開催され、音楽産業は「消費」から「体験」へとシフトしていくきっかけとなった。またサザンオールスターズがTSUNAMIを発表したのもこの年のことである。
2001年
また2001年にはAppleからiTunesが登場し、音楽の聴き方は激変していく。それと同時期に、BUMP OF CHICKENの天体観測が大ヒットとなった。BUMP OF CHICKENが出現したことで、後続の日本のバンド内におけるヴォーカルスタイルは大きな変革を魅せた。これまでシャウトなどをするいわゆるロック的な音像から、か細くて弱弱しい声で詞を歌いあげるバンドがうまれてくる。
BUMP OF CHICKEN(出典:https://bumpofchicken-blog.netより)
これを前後にし、ELLEGARDEN、くるりなどUKロック、USオルタナの流れを汲んだいわゆるロキノン信仰はうまれたとされる(ロキノン系という言葉はない)。また、下北沢や高円寺などのサブカルチャーが台頭しつつあったことで、その印象は大きくなっていった。そして当然のごとくiTunesに次いでiPodが登場し、音楽はよりファストで手軽に聴けるようになっていく。
2002年頃
前年の革命的出来事を受け、国内では着うたサービスが誕生。それに付随して、青春ロック、青春パンク的な流れが巻き起こる。この時に活躍したのはロードオブメジャーや175R、MONGOL800、FLOWなどである。リスナーの中心はより若年層へと移行し、音楽における配信システムが誕生。
この頃には2000年に結成されたフジファブリックがデビューを果たす。
フジファブリック(出典:https://www.wakajitsukohei.comより)
また日韓ワールドカップが開催され、B’zとAerosmithが共演を果たす。この頃には音楽業界におけるトレンドの中心を若者が生み出していく流れに移行していくことになる。
加えて2000年前後には、日本のメタルバンドが再結成の動きを見せる。1998年にはLAZY、BOW WOW、2000年に入ってからはLOUDNESS、ANTHEMなどが再結成され、ニューメタルからの流れを汲んだ新鋭バンド、マキシマム ザ ホルモンがデビューする。
マキシマム ザ ホルモン(出典:https://rockinon.comより)
⑥ロキノン系の躍進(2000年代後半)
2006年にはDIR EN GREYが海外進出を発表するが、日本のメタルにおけるメディアは彼らを認めないという立場で、洋楽至上主義と邦楽の壁が明白になった。
またチャットモンチー、ストレイテナーなどの女性バンド、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどがヒットしたのも2000年代後半のことで、この頃にはロキノン系がロックンロール以外のリスナーにも浸透。ロックとポップスの境界線は曖昧になり、一般消費者がロックを気軽に楽しむようになった。
2003年に結成されたRADWIMPS、2006年にデビューしたONE OK ROCKなどがその傾向の急先鋒で、インディーズから頭角をあらわしはじめるバンドが続々登場していく。
ONE OK ROCK(出典:公式ウェブサイトより)
2000年代後半の流れ
2005年から2006年にかけ、デビューしたのはUVERworld、Base Ball Bearを筆頭に、Def Teckなどである。この流れはUS、UKからのHR/HMではなく、ポップスに寄せた形のロック=邦ロックの台頭を示す。また邦ロックというくくりの背景には、ロキノン社とロキノン系の商業的なヒットが大きく関わっている。
UVERworld(出典:https://rockinon.comより)
2007年~
2007年には9mm Parabellum Bulletが、翌08年には凛として時雨がデビュー。それまでのロキノン系の台頭に反動するかのように、どぎつい個性を打ち出し、ヒットチャートにも名を連ねる。
また実験的な側面が強く、エレクトロニカ、テクノなどを取り入れたバンド、サカナクションがデビューしたのもこの頃で、後進バンドひいてはポップスへ大きな影響を与えていくことになる。
サカナクション(出典:http://sakanaction.jpより)
マキシマム ザ ホルモンのアルバム、ぶっ生き返すがヒット。同年B’zがアジアではじめて、KISS、Aerosmith、SLASHなどが並ぶHollywood’s RockWalkへの殿堂入りを果たした。
⑦2010年代のロック(10’s)
2010年代にさしかかると48グループ、ジャニーズなどのアイドルがヒットチャートの上位を独占するようになり、音楽における広告戦略も大きく変わった。
邦ロック
PC、スマートフォンの圧倒的な普及によって、CD売上は大幅に減少し、プロモーションの戦略はマスではなくYouTubeがメインになっていく。また先に活躍していたチャットモンチーなどの女性バンドの影響で、ねごと、赤い公園、SHISHAMOなどが活躍。その背景にはアニメ「けいおん!」のヒットもあったと考えられる。
そしてONE OK ROCKが絶大な人気を誇る中、buck number、[ALEXANDROS]、KANA-BOON、クリープハイプ、ゲスの極み乙女。、WANIMAなどのロキノン系譜のアーティストが大活躍していく。この背景には2000年代からの音楽における消費システムの変化と、フェスの継続的人気がある。
フェスの継続的人気によって、フェスをプロモーションの主戦場とするアーティスト、THE ORAL CIGARETTESや04 Limted Sazabysなども活躍。
またラウド系ではMAN WITH A MISSION、coldrain、Crossfaith、SiM、MY FIRST STORYなどの他にSWANKY DANK、打首獄門同好会などが活躍していく。YouTubeが巨大なメディアとなったことで、never young beachなどのMVに注力するタイプのアーティストも生まれてくるのが2010年代とも言える。
そして単純なバンドサウンドに留まらず、ソウルやジャズ、プログレや黒っぽい音楽を取り入れてきたSuchmosが活躍。
Suchmos(出典:https://bashikun.comより)
加えてHR/HMを軸にするバンドは極端に減少し、HRを軸にしたバンドは売れなくなっていく。
HR/HM
本格派HR/HMバンドは減少していく中、メタル界に彗星のようにあらわれたのがBABYMETALである。アイドルとメタルの融合は異質で、閑散、縮小していくメタル業界にとって大きな出来事だった。
BABYMETAL(出典:https://toyokeizai.netより)
そして先日、世界最大の実売部数を誇るHR/HM誌、BURRN!がB’zの起用を発表、センセーショナルな議論を巻き起こした。賛否両論が吹き荒れる中、この選択が日本におけるHR/HM界の拡散になることを切に願う。
BURRN!(出典:BURRN!公式ウェブサイトより)
⑧ようこそ、令和!
???
2019年5月1日から新しい元号「令和」がスタートする。平成は数多くのバンドがデビューし、HR/HMファンのみならず、消費者に様々な形でロックが届けられた。しかし未だにロックの世代交代は進まず、権威主義的なメディアやプロダクションは排他的とも言える。令和では日本のロックを担う新しい絶対的バンドが出てくることを願いながら、同時に息の長いバンドが衰退しないように、そんなジレンマを抱えながらこれからもロックを聴き続けていきたい。
この度はブログをご覧いただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。
【FASHION】SAT 21:00
【MUSIC】WED 21:00
【WORK】MON 21:00
【ART】THE LAST SUN 21:00
ワダアサト
CONTACT
TWITTER
INSTAGRAM
※本記事は著作権法第20条、第32条、(出所の明示〈第48条〉)、必然性の有無に基づき作成しております。
2010年代の邦ロックバンドが飽和する状態において、ピロピロ、シャカシャカがロックとされる傾向そのものに嫌悪を感じる。あれはロックではない。ワンオクもラッドもHRではないし、ロックではない。ロック風というだけ。そこに関しての見解を詳しく聞きたかったなあ。