①日本文化の特徴(西洋と比較)
-⑴余白の概念
-⑵無駄の概念
-⑶侘び寂びの概念
②日中韓文化の差異
③盆栽は引き算の美学の究極
①日本文化の特徴(西洋と比較)
⑴余白の概念
まず最も分かりやすい対象は、日本文化を象徴する「書道」や「水墨画」です。これらは中国大陸から日本に伝播してきたものですが、そのプロセスの中で変遷し、今ではそれぞれがそれぞれの文化を持っています。その中で取り立てて日本的な美の価値観に基づき現代に至るまで残存するのが、上述したものです。
この「書道」において、特に重視されるのがやはり「余白」です。僕は幼少の頃から長きに渡り書道を習っているのですが、師匠には「墨の黒ではなく、白を見なさい」と幾度となく教示していただきました。
新井光風先生「萬頃陂」(引用:日展)
武井由苑先生「上善如水」(引用:玄遠書道会)
また、水墨画などもこれら「余白」の美学の筆頭で、同時代の西洋美術(ルネサンス期)と比較すれば、その特徴は一目瞭然です。西洋が派手な色を使い、画面いっぱいに対象を描いているのに対し、日本の画は、寧ろ「白」の部分の方が圧倒的に多いことが分かります。
長谷川等伯「松林図屏風」(引用:東京国立博物館)
ミケランジェロ「最後の審判」(引用:西洋絵画美術館)
これは、どちらが良いとか悪いの話ではなく、西洋と日本のそれぞれの価値観の差異です。
⑵無駄の概念
龍安寺石庭(引用:京都散歩)
ベルサイユ宮殿庭園(引用:たびこふれ)
日本式庭園を代表する枯山水を置く石庭。ここにもまた「無駄なものをいかに省くか」という、引き算の美学が存在します。つまり「『なにもない』場所に、何かを想像させ、その間(ま)を楽しむ」という価値観が優先されます。反して西洋的な価値観は、足し算の美学です。いかに空白の場所に対象を設置・追加するか、という視点に立って、美学が構築されているのです。
⑶侘び寂びの概念
また、今では海外の人にも「Wabisabi」で伝わる侘び寂びの概念も、重要な日本の文化です。最も代表的なのは、やはり千利休の茶室や銀閣寺などでしょうか。
銀閣寺 / 慈照寺(引用:Wikipedia)
侘び(わび):質素な単純性などの意味。富や権力に頼っていないこと、時流を超えたもの。寂びを受け入れ、その美しさを見出す心そのものを指す。
寂び(さび):この世のものは年を経ると汚れ、欠け、寂れるが、その変化が織りなす多様な美しさを指す。西洋のアンティークに近いが、アンティーク・ヴィンテージは「歴史的側面」に重きを置く。一方日本の場合は「自然的な変容」を受容し、無常であることを美しいと考えること。
俳人・松尾芭蕉が詠んだ句、
「夏草や兵どもが夢の跡」
「古池や蛙飛び込む水の音」
なども、侘び寂びを感じさせる代表的な句です。僅か17音で形成される俳句ですが、その背後にはありとあらゆるものを想像させます。芭蕉の門人・向井去来は「去来抄」の中で、細かく芭蕉の見出した「寂び感」を解説しています。
②日中韓文化の差異
一方で、決定的に違う西洋と日本の文化の比較のみならず、アジア圏の三国における差異にも着目してみます。
広島文化学園大学の教授・金文学氏が書いた「日中韓文化の違いをどう乗り越えるか」における各国の「自然観の差異」によると、下図のように表現されており、人々が自然に対して何を求め、何を感じるのかが文化的な相違により書かれています。
そもそも盆栽も書道と同じように、中国大陸から日本に伝播した文化の一つです。この時点では盆景(中国)と呼ばれ、鑑賞する目的の他、識者や貴族階級の人が他人に見せる為に植物を利用していたとされます。
盆景(引用:盆栽なび)
しかし、日本に伝わっていく中で①で記したような(特に禅と侘び寂び)影響を受けながら、日本独自の文化として発展したものです。加えて、上述した日本の自然観と思想が大きく影響し、現在の形に落ち着いています。故に現在の中国人の中では、日本の「盆栽」が高値で取引され、日本人がお世話をした盆栽が欲しい、という人が多くいます。
③引き算の美学の究極
そして言うまでもなく「盆栽」は日本文化をドキュメントした生きるアートです。
赤松 帰去来(引用:大宮盆栽美術館)
観葉植物よりも遥かに小さな鉢に入れ、派手さはありませんが、「余白」「無駄を省く」「侘び寂び」を感じさせるのが盆栽です。故に、剪定によっていらない枝をざっくり切り落とし、美しさを見出すために余白を重視して樹形づくりを行っていくのです。それは大きな盆栽でも、手の指に乗るほどの小さな盆栽でも同じことです。ですから今や盆栽は「Bonsai」として日本人よりも寧ろ海外の人にクールな文化として受け入れられています。
日本文化を究極に凝縮した盆栽、皆さんもお家で育ててみてはいかがでしょうか。