はじめに
35周年を迎えたB’z。彼らがハードロックを基軸に、ありとあらゆるジャンルの音楽(ロックに限らず)を咀嚼し、B’zとして放出・昇華してきたことは、多くの方が認めるところでしょう。稀に「バウムクーヘンのように変わらない」と表現される方もおられますが、実際にはアルバムや年代ごとに変遷してきたのも事実でしょう。しかし、どのような音楽を鳴らしていても、楽曲の中核を成す成分の一つに「ブルーズ」があります。本日のコンテンツは、この「ブルーズ」からB’zというバンドを解体し、ある一つの結論を導いてみようという試みの基に書かれるものです。
ブルーズとは
まずB’zとブルーズ(ブルースとも)の関連を書く前に、ブルーズそのものが一体どういったものを指すのか、簡単に説明する必要があります。ブルーズとは、アフリカ系アメリカ人によって発展してきた音楽ジャンルの一つで、ソウル / R&Bや後進のロックンロールそのものに大きな影響を与えたものです。白人音楽がカントリーやブルーグラスなどを生み出していた一方で、このブルーズやジャズはブラック・ミュージックの一端を担っていたとされます。
代表的なミュージシャンにはMuddy WatersやAlbert King、Robert Johnsonなどが挙げられます。
Folk Singer / Muddy Waters, 1964
一方でロックンロールの発展には、このブルーズの存在は欠かせないものの一つでした。前哨となるChuck BerryやElvis Presleyなどのミュージシャンたちの楽曲にもブルーズが寄与していたことは疑いようがありません。中でもThe Rolling Stonesが1stからブルーズナンバーをカバーしていたことは多くの方に知られているところでしょう。評論界隈では、彼らストーンズがブルーズへの傾倒とリスペクトは強かったものの、ブルーズサウンドの追究に失敗したとみる視点もあるようですが、現時点での最新作「Blue & Lonesome」(2016)では全編ブルーズ/ロックンロールのカバーとなっています。
Blue & Lonesome / The Rolling Stones, 2016
そうしてブラック・ミュージックと白人音楽が接近していく中で、60年代から70年代にかけては極めて多様なロックが鳴らされる形となりました。しかし、いずれも「ブルーズ」の存在は消え失せず、Eric ClaptonをはじめCream、Zeppelin、Black Sabbath、Deep PurpleなどのHR勢が台頭してきます。つまりHRはブルーズの影響(を受けた人たちが生み出した)下にあった、ともいえます。
90年代からB’zを支えた強烈なブルーズの香り
B’zがデビューしたのは1988年のことです。サブスクも解禁されたことですから、初期作を聴けばどの方面からの影響が強いのかが明白です。無論、ロック(的な)サウンドに重きを置く印象はあったのですが、それ以上に小室哲哉率いるTM NETWORKや、平成に切り替わる微妙なタイミングという時代背景のディスコチックな影響がみられます。言わば、極初期においてはダンサンブルなグルーヴを構築しポップに打ち出すという文脈の中で、バンドサウンドを提示していました。
CAROL – A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991-,1988 / TM NETWORK
これはあまり言及される機会がないように思いますが、そういったディスコ・サウンドを踏襲しつつ、意外にもパンクからポスト・パンクへ移行した後のサウンド、或いはニューウェイヴやニュー・ロマンティクスに影響を受けたと思しきサウンドも初期の楽曲には含まれています。特に顕著なのが「SAFETY LOVE」「LOVE &CHAIN」等の楽曲です。
しかし一方で、彼らB’zの音楽の下支えをしたブルーズの強烈な香りは、「RISKY」及び「IN THE LIFE」を経て、「RUN」「The 7th Blues」で一気に放出されたと考えてもいいでしょう。特に「The 7th Blues」においては、タイトルにも「Blues」が含まれているくらいですから、より分かりやすいかもしれません。
1992年「ZERO」と「RUN」
B’zは、92年にリリースしたシングル「ZERO」及び6枚目オリジナル「RUN」において、ブルーズを経由したアメリカン・HRをB’z的に咀嚼して発露させ、いよいよ本格的なHRバンドへと変遷していきます。特徴的なのは前作「IN THE LIFE」よりも遥かに松本のリフが楽曲の中核として鳴らされている点です。
RUN / B’z, 1992
ここで露呈したのは言うまでもなく、USロックバンドAerosmithに源流を見出すことをできるサウンドで、稲葉の歌唱も極めてSteven Tylerに接近した出音になりました。加えて、リズム・セクションそのものもハードロック然としたフックに満ち溢れ、Deep Purple的なクラシカルなオルガンソロなどが積極的に設けられるようになったのも本作の特異な点です。
特にホーン・セクションが効果的に挿入されたM1「THE GAMBLER」~「ZERO」「紅い陽炎」などにおいては、ブルージーな感覚がもの凄く強いように感じられ、肉薄してゆくロック感がアルバム全体を通して増進しています。アルバム全体においても、ホーン・セクションが挿入された楽曲は多く、同時にマイナー調の楽曲が増えたのも本作からでした。
安易な言い方にはなりますが、海外のロックを日本人のサウンドとして日本人の耳に分かりやすく、しかし格好良く提示する、というプロセスを経たアルバムであったといえます。無論、これらの根本的な背景には松本の紡ぐメロディそのものの素晴らしさがあることは間違いありません(メロディそのものの良さはB’zというバンドにとって重要な武器)。
Pump / Aerosmith, 1988
Burn / Deep Purple, 1974
1994年「Don’t Leave Me」と
「The 7th Blues」
そして「RUN」のリリースから二年を経て彼らがリリースしたのがシングル「Don’t Leave Me」とアルバム「The 7th Blues」でした。一聴したその刹那からJimi HendrixやLed Zeppelinなど、ロックンロールがブルーズの成分を多分に含んでいたことを実証するバンドの影響を強く受けていることが分かります。それほどまでにブルーズの感覚が強いのが本作「The 7the Blues」です。
また使われる言葉(歌詞)の数々は、RUNなどに比するとよりブルージーな感覚が強く、ブルーズそのものが持ち併せた暗澹たるルーツをも感じさせるものでした。M3「未成年」などにおいては、やはりベースのリズムが強烈なファンクを感じさせ、「RUN」と同じくアルバム全体にホーン・セクションが散りばめられています。加えて、ブルーズをはじめとして、ソウルやファンクの感触が感じられる点もThe 7th Bluesの特徴的なポイントで、故にB’zのオリジナル・アルバムにおいて、最もブラック・ミュージックに接近しているのも本作だと考えます。
中でも取り立ててその要素を感じさせるのは、やはり本作に収録されたDisc 2 M9「もうかりまっか」です。この楽曲は12バー・ブルーズの伝統的な進行からなるもので、古くはMuddy WatersやLittle Richard、James Brownなどの50~60年代のブルーズ、ソウル、R&B系のミュージシャンらが挙って発表していた形態です。
しかしながら本作の本当の恐ろしさは、J-POPが躍進し、シーンのほとんどを占めていた状況で驚異的なセールスを獲得したことです。そしてハードロックを鳴らしているバンドが今も一般に受け入れられているというのは、中々に奇妙で恐ろしい現象です。個人的には売れていいはずのないバンド、というわけなのです。
Axis: Bold As Love
The Jimi Hendrix Experience ,1967
Led Zeppelin ⅱ/ Led Zeppelin, 1969
加えて、松本が70年代~80年代のHR/HMのメロディアスタイプのロック・ギタリストに影響を受けていることは明白ですが、その一方で、松本はStevie Ray Vaughanなどのブルージータイプのギタリストからの影響が強く見受けられます。現時点(2022年・執筆時)の松本の最新作「Bluesman」でも、この辺りの間(ま)の感覚は、彼の中で極めて大切にされているもののように思われます。
Texas Flood
Stevie Ray Vaughan & Double Trouble, 1983
一方で、この辺りの時代背景を世界に移し考えていくと、既に90年代グランジがオーバーヒートし、NirvanaやらPearl Jamやらが熱狂の渦にオーディエンスを巻き込んでいた時代でした。このオルタナティヴな流れに乗らなかった・乗れなかった(※影響を受けている世代が前)のが、また一つB’zというバンドの持つブルージーな感覚を突出させた出来事だとも考えます。
ブルーズと昭和歌謡の深い関連
一方で日本における70年代~80年代というのは、「歌謡曲」が聴かれていた時代です。US / UK(どちらかといえばUSだが)では当然ブルーズをたっぷり含んだタイプのハードロックが鳴らされていましたが、日本の歌手たちも例外なく、ブルーズの影響を少なからず受けていました。それが一連の「昭和歌謡」です。代表的なところではキャンディーズや中村雅俊、山口百恵、沢田研二などでしょう。これらの歌手たちは今でこそ昭和の歌謡曲、昭和のアイドルとして認識されていますが、その楽曲にはブルーズ、ソウルなどのブラック・ミュージックが欠かせない要素となっていたことは疑いようがありません。
またBlack Sabbathなどの黒いメタルに影響を受けていた(ブルース・)クリエイションや憂歌団などのブルーズ~フォーク~歌謡曲を行き来するバンドが活躍していたのもこの時代でした。
悪魔と11人の子供達
ブルース・クリエイション, 1971
故に、松本孝弘という作曲家・メロディメイカーが海外のロックのみならず、日本の歌謡曲やロックにも相当な影響を受けていたことは明白です。これは松本が2003年にリリースした「THE HIT PARADE」で「勝手にしやがれ」(沢田研二)をカバーした経緯からも読み取ることが可能です。
原曲を聴くと、やはりその多くがブルージーな要素を感じさせます(音楽理論的ブルーズであるというより、印象論としてのブルーズ)。特にキャンディーズやダウン・タウン・ブギウギ・バンドなどには顕著であったといえます。
THE HIT PARADE, Tak Matsumoto, 2003
そのことを考慮すると、B’zというバンドは、ある意味で海外産のロックと日本の歌謡曲のいいとこどりをしてしまったバンドである、と結論付けることができます。そういった意味においては最新作Highway Xの「COMEBACK -愛しき破片-」や、MAGIC「夢の中で逢いましょう」なども、極めて歌謡曲に接近した要素を持っています。それに、そういった楽曲の数々に感じられるのは「歌謡」や歌謡曲的なサウンド・プロダクションというよりも、”あの頃の”メロディであることです。
そして、このことは日本の歌謡曲とJ-POPの相対的関係や、B’zというバンドの独自性、そして巨大なセールスを不完全に裏付ける一つの根拠たりえるものであると考えられます。つまり”B’zは歌謡曲”という一種の毀損的な言葉がまったく機能しなくなってしまう構造にあるのです。また、B’zというバンドを解体して考えていく時に、ありとあらゆる文脈が浮上するのも非常に面白い現象です(これは例えば「スピッツ」と「メタル / パンクetc.」、「ミスチル」と「プログレetc.」などのようなもの)。
まとめ
ご存知の通り、RUN、The 7th Blues以降もB’zはアルバムをリリースしていき、メタルやポップ、時にはラテンなど、様々な音楽形態を咀嚼した楽曲を発表していきます。しかしながらアルバム全体として「ブルーズロックアルバム」と呼べるものは少なくなっていきました(これが悪いということではまったくない)。無論「雨だれぶるーず」(MONSTER)や「恋鴉」(NEW LOVE)など、単体でその要素を満たすものもありましたが、確実なのはB’zを形成する成分として「ブルーズ」が欠かせないものであったということです。これは最新アルバム「Highway X」においても確実性を増し、私の耳に迫る事実です。
また、本コンテンツを通して私が主張したいのは、一つのアーティストやバンドには蜘蛛の巣状にありとあらゆる”新しい”視野が判然と並び、それを知っていく作業はとっても面白い、ということです。そしてそういった意味におけるB’zというのは最適解の一つであることはまず間違いがありません。勿論B’zが素晴らしいバンドであるということは前提のうえで、彼らが影響を受けた様々な音楽を聴いていくことは、とっても素晴らしいことです。是非たくさんの音楽を聴いてみてほしいなと思います。
2022年もOMOTE TO URAをご愛顧いただき誠にありがとうございました。商品をご購入してくださった方、日々のコンテンツをお読みいただいた方、その他様々な仕事で関わった関係各位の皆様、この場を借りて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。OMOTE TO URAは2023年も地道に、地に足を付けながら進んでまいります。どうぞよろしくお願い申しあげます。良いお年をお迎えください。(ワダアサト)
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