Rock

井上陽水「氷の世界」

 

井上陽水
氷の世界
1973

 

時代の空気に合致してしまった傑作

1973年、日本における高度経済成長は終わりを迎えました。オイルショックにより戦後はじめて経済はマイナス成長を記録しました。そして、そんな中リリースされたのが本作「氷の世界」です。高度経済成長の終わり、という先の見えない時代の閉塞感を狂気たっぷりに描いたのが本作です。本作は日本で最初にミリオンヒットに至った作品として知られていますが、その内部にはグラムロックとファンクを行き来するゴージャスかつタイトなサウンドが流れていました。

「ものまね芸人、神無月による独特のモノマネをされる対象」としか若い人が受け止めていないことは、とても寂しいことです。

 

恐ろしい詞世界

ドラムスとベースが率いるアンサンブルを中心に奏でられるM1「あかずの踏切り」で本作は幕を開けます。ドライヴ感たっぷりのグラムロック風味の味付けで、颯爽と流れていく楽曲ですが、踏切りを境界線にして「相変わらず僕は待っている」だけの無機質な世界が描かれていました。また、メロディはJ-POPにありますが、サウンドはグラムロック・ニューウェイヴを内包しており、それだけで本作の恐ろしさが伝わります。

わずか40秒の楽曲M2「はじまり」を経て、間を置かずにM3「帰れない二人」へと突入します。忌野清志郎との共作として知られるこの楽曲ですが、幾重にも重ねられたアコースティックな響きが、図らずも「帰れない」ことへの焦燥と諦観を生んでいます。

そしてタイトルトラックであるM5「氷の世界」では、今でも新しいと思えるファンクを軸にした歌謡ロックを展開。ホーンセクションが究極の緊張を生み、ブルースハープが主旋となる裏では、粒立ちした楽器の音色がはっきりと聴こえてきます。加えてファンクの感触を生むリズム隊の生むグルーヴも素晴らしいです。「人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな」などの歌詞からは、個人的に「人間失格」の葉蔵を思い起こさせます。時代を感じさせるのは「恐いんじゃないネ」の「ネ」だけです。

また先行シングルとしてリリースされたM8「心もよう」の完成度は白眉で、細野晴臣を中心にしたプログレッシブなサウンドの中に、謂わば昭和歌謡とも呼ぶべき湿り気を宿しています。次曲M9「待ちぼうけ」では、ビートルズに影響を受けたサウンドを鳴らしている一方で、国内の純文学的な虚無を抽出・展開しています。続く「桜三月散歩道」では「だって僕が狂い始めるのは~町へ行けば人が死ぬ」と歌われ、そのシュルレアリスムを含む狂気が垣間見えます。

M12「小春おばさん」では、ただ「逢いに行く」ことだけを滔々と伝え、ラストナンバー「おやすみ」では「もう、すべて終ったのに みんな、みんな終ったから」と歌われます。カントリー調のあたたかい楽曲と、詞世界のアンバランスさが更なるシュルレアリスムを生みだしています。

いずれにしても1973年にこれほどのサウンド・プロダクションを聴かせているのは本当に驚くべきことです。是非聴いていただきたい一作です。


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