結論から言うと、「欲しい」と「似合う」と「合う」は違う。このブログを読んでくださる人は、この三つの中で、何を重視して洋服を装うのだろう?
「欲しい」
「似合う」
「合う」
を、それぞれ辞書で調べてみると、次のような説明が書かれていた。
【欲しい】
《自分のものにしたいと思う。手に入れたい。》
【似合う】
《調和する。相応する。》
【合う】
《①二つ以上のものが一つに集まる。
②基準・標準と一致する。
③適合する。》
①欲しい「WANT」
「欲しい」というのは、極論を言ってしまえば「似合う」「合う」を考えなくてもいい、ということだ。この「欲しい」という感情に到達するのには、たくさんのプロセスがある。
デザインが良いから「欲しい」、価格が安いから「欲しい」、あの芸能人が着ていたから「欲しい」など。もちろん、似合うと思うから「欲しい」というのも「欲しい」ことの理由の一つだと言える。
つまりこの「欲しい」という感情は、洋服を装うということにおいて、最も純粋な「個人的」理由だと言い換えることが出来る。「欲しい」というものはこの三つの中で唯一、感情だ。
②似合う「MATCH」
「似合う」というのは、「調和する」という意味だ。これは「合う」とは違う。調和する、ということは
《ものごとの間に釣り合いがとれていること。ものごととものごとが互いに和合していること。》
という意味だ。
となると「洋服が一方的に、人に合わせる」ということとは異なる。つまり、人そのものと洋服が調和している、という状態だ。
だから「似合う」というのは「合う」とはまったく異質で、「似合う」というのはその人の生き方や価値観、それらが相まって、社会的な洋服、ファッションスタイルのあり方になるということだ。
最近亡くなられた樹木希林の洋服は、彼女に常に「似合って」いた。それは彼女の人生に対する姿勢と洋服がマッチしていたからだろう。
③合う「FIT」
「合う」というのは、形や機能が、あるいは生地やパターン(洋服を構成する型紙のようなもの)が、その洋服を装う人にとって、心地いいかどうか、着やすいかどうか、という一方通行の意味をなす。
パターン(出典 : https://astamuse.com/ja/published/JP/No/2004232103)
最近話題になったZOZO SUITSなんかがこの「合う」に当てはまるだろう。結果は「合う」ことすらしなかったようだが、これはファッションというものの本質からかけ離れているように思えてならない。
そもそもファッション、衣服というものは、身体を外的な環境から守るために生み出されたものだ。それが時代の変化と共に「楽しい」もの、所謂「嗜好品」のようなものに変化していった。
そして政治や宗教、民族の歴史などを内包して現在の状況に至った。
しかし、たった一着の洋服を装う、ということがまるで原始時代化のような状態に戻ってしまう「合う」は、OMOTE TO URAの考える本質ではない。
あなたが、一着の洋服を買うとき、あるいは着るとき、一体そこにはどんな感情がはたらくのだろう?
とにかくこの世の中には人の量よりも遥かに多い数の衣服が溢れている。衣服を購入するためのチャネルも時代の変化と共に増えた。
しかし、あなたがその洋服を購入するとき、「欲しい」から買うのか、「似合う」から買うのか、「合う」から買うのか、今一度考えたい。
OMOTE TO URAのブログに関しまして
《FASHION》毎週土曜日21:00更新
《CULTURE》毎週水曜日21:00更新
《OMOTE TO URAの日々》第三日曜日21:00更新
《働く人》第四日曜日21:00更新
Twitterはこちら
Instagramはこちら
OMOTE TO URA代表のワダアサトは「デザイン・プランニング・レクチャー」の3本柱にて仕事をお受けしております。詳しくはワダアサトページをご覧ください。
この度はブログをご覧いただきありがとうございます。次回もどうぞよろしくお願い致します。