このウェブサイトに訪れてくださる皆さんは、「アート」というものについてどのようなイメージを持っているだろうか?
はっきり言ってアートは「衣食住」のどれにも当てはまらないし、つまりは日常生活においてそれがなくても特に大きな支障はない。要するに「アートは我々にとって生きていく上では不必要なもの」ということになる。
しかし恐らくこの文章を読んでくださる方の多くが”草間彌生”を知っているだろうし、同じく”アンディ・ウォーホル”も知っていることだろうと察する。
アートというものは実に面白いものなのだが、一般的な消費者は「そういう世界があるのね」どまりなのは確かだ。そこで本日はOMOTE TO URAがアートについて、そしてそれらが担う役割などをお伝えしていきたい。
①なぜバスキアの絵が数十億もするのか
②なんでもありの現代アート
③直感に耳を傾けること
①なぜバスキアの絵が数十億もするのか
ジャン=ミシェルバスキアはNY出身のアメリカのアーティストだ。某大手通販会社の元社長が購入したことでも話題になったアーティストで、米国出身の有名アーティストを3人挙げろと言われれば、キース・へリング、アンディ・ウォーホルと共に名前が挙がる人物だ。
ジャン=ミシェルバスキア(引用:https://www.bloomberg.co.jp/より)
彼の作品の多くは安いものでも数千万円、サイズの大きいものになると60億円近くの値がつく。上図の作品は13億以上の価格がついたものだ。
アートが好きな人、コレクターなどにとって彼の作品はまさに「宝石」以上の輝きを見せ、それなりの価値が付随してくるが、興味のない人にとっては例え上記の作品が¥10,000でも購入しないだろう。
───しかし、一体なぜ現代アートはこんなにも高いのか?
答えは「評価する人数の大小」によって、相対的に価格が上昇していくからだ。つまりはこのバスキアのアートを多くの人が評価したから価格が上昇した、と言える。某大手通販会社の元社長が、アートに対しての深い興味や知識があるとはまったく思えない。だが彼は「多くの人が評価していて、欲しがっていたから買った」のだと言える。
仮にバスキアの作品を小学生が真似て描いたとしても、評価する人はするだろうし、しない人はしないだろう。
そう、実はアートの面白いところは「絶対的な基準」というものがないというところだ。だがそれ故に、「私には / 僕には理解できない、分からない」という人が生まれ、そもそもアートに対して興味すら失ってしまう人もいる。
②なんでもありの現代アート
ここで少し日本のアーティストにも目を向けてみたいと思う。多くの人が知るアーティストに奈良美智がいる。
奈良美智(引用:https://store.tsite.jp/より)
彼は草間彌生や村上隆と並び、日本を代表する作家として知られており、多くの方がどこかしらで見かけたこともあるだろう。極端に排除された背景の中に佇む少女をモチーフとして制作されていて、寂しさや怒り、孤独というものを感じる。
そんな中、この奈良美智作品を評価した者の多くは、日本における若い女性だった。彼女たちはこの作品を「かわいい」と形容し、その理由を「子供が笑顔なのは当たり前で、ちょっと歪でズレた感じがかわいい」とする。つまりこのプロセスは「一枚の絵があって、それに対する評価」という実に分かりやすい構図で出来上がっているものだ。
だがその一方で、ピエロ・マンゾーニというアーティストは自分の排泄物を缶に詰めたアート作品を展示したり、風船を台座にくっつけて空気を抜くという「現象」そのものをアートにしたりするなどした。
ピエロ・マンゾーニ(引用:https://matome.naver.jp/より)
更には驚きベきことに、この「排泄物アート」に【30g 自然保存】というラベルを張りつけ、それを展示当日の30gの金(きん)の相場で販売した。
そして最も有名なのが、マルセル・デュシャンの作品「泉」だろう。
マルセル・デュシャン(引用:https://fashionpost.jp/より)
この作品は「便器」を使用した作品であるが、私たちは普段、便器を見た際に「これは排泄するための道具であると認識する。しかしこれには「泉」と書かれ、作者:マルセル・デュシャンと記されている。
そして誰かが「これはアートだ」と言った瞬間から、この便器は「アート」へと変化し、「観念」というものが大きく崩壊していく。これはコンセプチュアル・アートの先駆けとして認識され、この作品を以てしてアートの対象は「絵画」のみならず、現象やプロセスというものに変化していった。
このように「アート」という分野は常に時代と共に進化している。そして最も重要なのは「多数に理解される必要はない」ということだ。これがファッションとの大きな違いで、そこには社会的機能や役割、実用性などは存在しない(しなくてもいい)ということだ。
もっと言えば、誰もがそのアートの表現する「本質」を理解していなくてもいい、ということであり、実用的な生活必需品とは違い、その狭間には「他者」が介在しない。
③直感に耳を傾けること
「アートは心を豊かにしてくれる」「アートは日々の生活を彩ってくれる」という言葉や表現をどこかで目にしたことがある方も多いだろう。しかし②で記したように、アートには社会的機能や役割、実用性は存在しない(しなくてもいい)のだから、全てのアートは自由に自分自身が感じ取るべきだ。
特に日本において多いのは「誰かが評価したものを、私も評価しなければならない」というもので、多くの人は既に一定の評価が定まったものを「良い」とする傾向がある。
だがアートを感じ取るのに重要なのは「直感」であり、知識などではない。
何かの作品を見てそれにどのような意味があるのか、ということを求めようとしてもいいし、「なんかいい」と思うのもいい。「分からない」のであれば、分かる必要はない。
だが今回の文章のタイトルは「現代アートの役割」なので、そこに無理やり答えをつけるとしたら「想像力を膨らませてくれる」ということに尽きる。そして何より、知識やロジックだけではなく、感性や感受性が個々の人生における幸福を左右するということだけは、最後に添えておきたい。
わざわざ画廊に行かなくとも、美術館に行かなくとも、日常に転がるアートをそれぞれが自由に見つけ、そして楽しんでみてほしい。
この度はコンテンツをご覧いただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。
ワダアサト
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