この記事を書くことにためらいがある。というのは「ロキノン系」という総称を使ってしまっていることや、もはやメインになった邦楽系のコミュニティで最も力のあるメディアがロキノンだからだ。つまりはファンの総数も多い。そのファンだってロキノン系という言葉をそもそも知らない層、ロキノン系という括りを嫌がる層、かなり細分化されてきている。
だからこそ、どこに地雷があるのかまったく分からない。
しかし大前提として、私はロキノン系を中傷したいわけではなく、この記事はあくまで客観的な視点から俯瞰して00年代のロキノン現象や10年代への変化などを書いていくものだ。
①ロキノンとはなにか
②カウンターからメインストリームへ
③偏屈さ故の無知
①ロキノンとはなにか
ロキノン系。
最近でこそこの言葉を聞く機会は減少したが、これはインターネットとスマートフォンの発達によって、そもそも雑誌社が大きな影響力を持つことはなくなった他、「個の時代」の到来によって、アーティストが独自のマーケティング戦略を打ち出すことが出来るようになったことなどが遠因であるとみている。
サブスクリプション配信は、凡そのジャンルは絞ってくれる機能を持ち合わせていながら、偏ったイデオロギーでミュージシャンをお勧めするということはほとんどないと言える。
しかしながら、未だに「ロッキングオン社」の影響力は、日本国内においてはピカいちだと考えている。バークス、エンタメステーション、クリエイティブマン、スマッシュ、バーンなど様々なメディアやプロダクションが入り混じる国内において、その存在感は非常に大きい。
私の考えでは、この記事「ロキノン系男女 自分らしさ過度に重視するため就活に苦戦か」が偏っていながらも、実に秀逸な指摘をしてくれていると思う。(ロキノン系がお好きな方は気分が悪くなるかも)
そもそも「ロキノン」とは1986年に発刊された「ROCKIN’ON」「ROCKIN’ON JAPAN」の略称として知られている。そして「ロキノン系」とはこの雑誌によく出るようなアーティストの総称であり、そのアーティストを好んで聴く人は「ロキノン厨」ということらしい。
そして現在における「ロキノン系」とは狭義では「UKロックやUSオルタナの流れを汲んだバンド群を指す」が、広義では「インディーズから頭角を現したグループ、ロックフェスに出演するアーティスト全般」ということだ。(出典:ニコニコ大百科)
②カウンターからメインストリームへ
ロキノン系という言葉のもとになったのは、「ROCKIN’ON JAPAN」であることが分かっていただけたと思うが、このロッキン・オン・ジャパン社は初代編集長、渋谷陽一氏によって創刊されたメディアである。この「ロッキン・オン・ジャパン」をWikipediaで検索してみると、
「取材記事については、ロッキング・オン側がギャランティを支払うのではなく、アーティスト側がロッキング・オン側に広告費を支払うことにより記事を掲載するという手法を採っている」とのことだ。(参照:Wikipedia)
現在、この使い古された表現「ロキノン系」は、考えすぎなのかもしれないが揶揄的な意味や侮蔑的な意味を含むこともあるだろう。確かにロッキング・オンを読むと、少なくとも初期は「コムデギャルソン論争」で話題となった吉本隆明的文学表現からの影響が見て取れる。またそれらが読者に与える、もはや宗教的とも呼べる論調は、後進バンド・シーン、ミュージック・ジャーナリズムに影響を与え続けている。つまり作家性の強いジャーナリズムが生まれたということだ。
一方でロキノンが理想としていた「時代へのカウンターカルチャーとしてのロック」は、既に2000年代にはメインストリームになった印象も受ける。
(引用:https://www.shobunsha.co.jp/?p=4094より)
2016年11月に発売された橘川幸夫の本「ロッキング・オンの時代」のキャプションにも「ロックがいちばん熱かった時代、70年代カウンターカルチャーの息吹を伝えるノンフィクション。」と記されており、つまりは「ロッキング・オン」が既に「カウンター」ではないことを暗に示している。
もはや国内における「ロッキング・オン」の立ち位置はメインカルチャーになり、呼称も「邦ロック」へと形を変えて進んできたと言える。
また個人的にはこの変化に一抹の不安や寂しさを抱えることも少なくない。「ロキノン系」信仰のプロセスには①で書いたように、偏ったイデオロギーが見られ、このことは「邦ロック」というジャンルの窮屈さを示しているように思えてならない。
渋谷・山崎両氏のカルト的信仰心の植え付けは、ビジネスの側面から見ても実に超優秀ではあるが、そういった画一的な「ロック観」「ポップ観」が蔓延ることは決してポジティブな態度とはどうしても思えない。
③偏屈さ故の無知
しかしだからこそ「ロキノン系だから聴かない」あるいは「ロキノン系こそ素晴らしいロックバンドの集まり」などという偏屈さが生まれることがある。そしてこのことは、時に自分にとって重要となり得る音楽を見逃してしまうかもしれない。その偏屈さは、様々な音楽を受容する際に邪魔となりうる。
今回はたまたま「ロキノン系」が分かりやすいため、例に出したが、これはあらゆるミュージック・ジャンルにも言えることだ。音楽を聴かずして、そのジャンルやコミュニティを批判することは、本来ならばあってはならないことだ。ジューダス・プリーストを聴いていた人がBABYMETALにハマり、BABYMETALを聴いていた人がアイアン・メイデンにハマることだって十分あるのだから、偏屈さを捨てて、新たなジャンルを開拓したっていいのではないだろうか。
そしてそれはサブスクリプション配信によって、実現した未来だ。
ONE OK ROCKのリスナーは明日からマイケミカルロマンスを、Suchmosのリスナーはピンク・フロイドやキング・クリムゾンを聴こう。
この度はコンテンツをご覧いただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。
ワダアサト
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