日本ではクロマニョンズの甲本ヒロトを中心に、古くはキャロルの矢沢永吉、氷室京介、B’zの稲葉浩志など、あらゆるロックシンガーに着られているライダース。
本日はそんなライダースを、ロックの歴史と共に掘り下げてご紹介していきたい。
①ライダースとロンドン・パンク
②ラモーンズとパティ・スミス
③ライダース───そのルーツとは?
④まとめ
①ライダースとロンドン・パンク
まず、前提として、ロックンロールとライダースの親和性は相当に高い。世界を見渡せば、ライダースはセックス・ピストルズ(特にシド・ヴィシャス)やクラッシュのジョー・ストラマー、更にはアクセル・ローズやロブ・ハルフォードなどのメタル畑の住人にさえ着用されている。
矢沢永吉
(引用:http://iam-publicidad.org/)
甲本ヒロト
(引用:https://eyescream.jp/music/42877/)
稲葉浩志、松本孝弘
(引用:B’z Official Website)
確かに、この2020年の世界において、ほとんどのロックミュージシャンはライダースではなく、ジャケットやTシャツ、あるいはシャツなどといったファッションに身を包んでいるが、ことライダースにおいてはそのインパクトが実に大きい。
では、一体そんなインパクトを放つライダースは誰が、どのようにして着始め、そして定着していったのだろう?
その答えは、言うまでもなく「パンクロック」そのものにある。そして、そのパンクの起点はロンドンにあった。加えて、ライダースのイメージを「反骨」「不良」といったネガティブなもので包み、決定づけたのはロンドンからスタートした先述ピストルズのシド・ヴィシャスであった。
Sid Vicious
(引用:Getty Images)
シド・ヴィシャスは1970年代半ばから後半にかけて、パンク・ムーヴメントを率いていく存在であったが、一方ではライダースの老舗ブランド「Schott」を着用し、パンクス全盛のファッションそのものをも牽引した。もちろんピストルズと同じく、ロンドンを代表するロックバンド、ダムドの面々、そして何よりもクラッシュなどによって、一連のムーヴメントは明確に色を持っていたと言える。
だが、そもそもピストルズを結成するコミュニティとなった、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンによるブティック「SEX」の店内には、ボンテージグッズと共にライダースが陳列されていたという話もある。
しかし、これらは広く知られるところとなった所謂「ロンドン・パンク」勃興期の出来事である。そして、その更なる源流にはロンドンへ渡るパンクの前身、つまりは「ニューヨーク・パンク」があり、それこそ「ロック」と「ライダース」を深く結びつけた立役者であった。そして、そのニューヨーク・パンクを率いた存在こそ、ご存知ラモーンズとパティ・スミスだった。
②ラモーンズとパティ・スミス
アメリカはニューヨーク・パンクを代表するバンドにラモーンズがいる。
Ramones
Patti Smith
上に記載した写真は彼らのファースト「激情」のジャケットであるが、彼らはデビューアルバムにして既にライダースを着用していた。そして、同じくニューヨーク・パンクの女王と謳われたパティ・スミスもまた、ライダースをこよなく愛したシンガーであった。
つまり「ロック」と「ライダース」が繋がり、そして現在のロックミュージシャンに継承されたその源流は、ニューヨーク・パンクにこそあったと言ってもいい。それはいずれ、冒頭申し上げたようにガンズやジューダスなどのメタルバンド、あるいはハードロック系シンガーにも着用されていくこととなる。
そして、それらはいずれも「不良」「悪」といったニュアンスを持っていた。確かにパンク(特にロンドン・パンク)には反権力や反体制の思想があったわけであるし、スタッズを打ち付けたスタイルなどは明確に悪しきイメージを体現していたといえる。
だが、この「パンク」によって「ライダース」が不良のイメージを持ち始めたかと言うと、実はそうでもない。
③ライダース───そのルーツとは?
時代は遡り、1939年、第二次世界大戦が勃発した。それを契機に、アメリカ陸軍航空隊は風を通さないジャケット「A-2 フライトジャケット」という一種のボマージャケットを活用し始める。
ボマージャケット:A-2 フライトジャケット
風を通すことなく、そして裾が狭まったジャケットは、航空隊に広く利用されていた。そして1945年、第二次世界大戦が終結すると、A-2を着用していた戦士たちは当然故郷アメリカへ帰還することになる。だが、生死の境をさまよった帰還兵の一部は、既に平和に向けて歩みを進めていた一般社会に馴染むことが出来なかった。
そんな中、ボマージャケットに似た風貌のライダースを着用し、大型バイクに乗りながら悪びれることによって、「ライダース」=「悪そう」のイメージが徐々に決定づけられたと言える。そして、バイクに乗る時以外も、日常的にライダースを着用することによって、そういったイメージは徐々に増幅されていったのである。
ライダース ダブル(引用:https://funq.jp/lightning/article/542778/)
そもそも「ライダース」つまりレザーを利用したジャケットは、バイクを乗る人々(バイカーズ)にとっての紛うことなき「実用品」であった。その主な目的は、
⑴ダブル襟によって風の侵入を防ぐ
⑵革によって転倒時の負担を軽減させる
というもので、1930年代には当初ロングだったレザーコートの裾を、バイクに乗る時に合わせショート丈に改良したことがきっかけであった。
そして、そういった様々な経緯によってライダースは着用され、現在は若者のカジュアルファッションにさえ使用される”アイテム”となっていった。
④まとめ
・「ライダース」が生まれたのは1930年代。バイク乗用時の姿勢に合わせて改良された。
・「ライダース」=「悪っぽい」イメージがついたのは第二次世界大戦後。戦争による悪しきイメージを継いだ。
・「ライダース」=「パンク」のイメージを生成したのは、ニューヨーク・パンク勢。ラモーンズとパティ・スミスなどが中心。
・「ライダース」=「パンク」のイメージを決定づけ、それらをカジュアルにまで下ろしてきたのがロンドン・パンク勢。ピストルズ、ダムド、クラッシュは重要バンドであった。
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