〇〇したことないくせに!
という表現はよく使用される言葉である。そしてこの「〇〇したことないくせに!」の後に続く文章として考えられるのは、
〇〇したことないくせに、評価するなよ。
〇〇したことないくせに、批判するなよ。
〇〇したことないくせに、評論するなよ。
などである。
これらは主に、何かを生み出す側、つまり消費者ではなくクリエイター側や作り手側が使用する言葉である。この生み出す側は例えば映画監督やお笑い芸人などが当てはまる。中にはデザイナーや、クリエイティブ・ディレクターと呼ばれる人々も入るかもしれない。
私の経験上、この言葉を使うのは主に二流以下の映画監督に多い。特に純粋な映画監督ではなく、芸人出自の映画監督に多いと考えている。
しかし、これをファッションデザイナーで考えてみると面白いことが起きる。例えば、私がコムデギャルソンの洋服を買い、それを格好良くないと判断したとする。そこで私は「このコムデギャルソンの洋服、欠陥が多くて酷い。着た時のシルエットもダサい」と思うとする。しかしコムデギャルソン社やその社長である川久保玲は「作ったことないくせに、文句言うな」と言うだろうか。
これはあり得ないことだ。上記はあくまで例として出したものだが、これは世間に溢れる全てのものについて同じことが言えるはずだ。
弊社は月ごとにロックバンドのアルバム名をコンセプトに据えて、商品を展開している。そこであるお客様が「これはダサい」と言うとしよう。弊社ではその意見が正しいと考えるならば、真摯にそれを受け止めるし、仮にその意見が単なる嫌がらせ行為のようなものであったとしても「作ったことないくせに」とは決して考えない。ただ単にそのお客様にとって、弊社の商品が合わなかったのだろう、と考える。
これは極めて当たり前のことで、全ての商業的活動はあくまでも「一般大衆」に対し、その商品や表現物を売るのだ。そしてその「一般大衆」にはその分野において素人もいれば、玄人もいる。このことは非常に当たり前のことで、つまりはモノを生み出す側、表現する側は絶対に「○○したことないくせに」という言葉を口走ってはならない。
これがプロとしてのマナーであり、礼儀であり、最低限のプライドである。そして、この「○○したことないくせに」という言葉を口走るプロはもはやプロとは呼べない。多くの一般的消費者は映画を作ったことなどないし、洋服を作ったことだってない。
しかし、こういうことを示した場合、必ずと言っていいほど「じゃあ、表現する側、生み出す側は全ての批判を受け入れ、黙らなければならないのか」という指摘をしてくる人がいる。確かにこの構造は前段文章で触れていない構造的な欠陥である。
だが、私は「○○したことないくせに」という言葉を発してはならないと思うと同時に、批判・否定をする消費者側もまた、「正しき批判」をすべきと考えている。というのは、その表現されたもの生み出されたものに対し、真摯な批判をすべきだ、ということだ。そうでなければ、生み出す側に対しこれ以上ないほどの失礼を与えることになり、真摯な批判をする連中までもが一括りにされてしまう。
一方で話は戻るが生み出す側も、全ての人々がそのモノを褒め称え、素晴らしいと言うことなどありえないという理解をしておく必要がある。表現や商業活動などは抑々、そういうものであり、だからこそカルチャーになっていくのだ。
これは弊社OMOTE TO URAが何かしらの表現を否定する時の免罪符でもあるが、同時に弊社の様々なコンテンツに訪れてくださる皆様が、自由な意見を闊達に交わすことを受け入れてもいるということだ。だから弊社のコンテンツには批判が付きまとうし、それをコメント欄でも解放していきたいと考えている。
そしてだからこそ、弊社のコンテンツについて「おかしい」と感じる方は、その意見をそのまま書きこんでいただきたい。弊社も可能な限り、それらには真摯に向き合っていきたいと考えている。