世界の大多数のミュージシャンが、そのプロモーションのツールにYouTubeを利用している。そしてそれは日本のミュージシャンも例外ではない。Apple社のiPhoneをきっかけに産業革命とも呼ぶべき時代が到来し、日々「便利」さは格段に進歩し、多くの人が当たり前にYouTubeで米津玄師の曲を聴き、あいみょんの曲を聴いている。
今の時代における「音楽」のヒットには、多くの人に褒められるMVの作成が必須だと言う。そしてその言葉を体現するようにヒットした曲の多くのMVのシーンを、10代から私たちの世代(20代)は想起することが出来る。
①YouTubeというメディア
②「音楽」を聴いている
③ミュージシャンの矜持
①YouTubeというメディア
今やYouTubeはテレビや新聞などのマスメディアと呼ばれるものと、そう大差のないメディアとなった。俗に言う”YouTuber”という職業も、いつの間にか世間に受け入れられ、YouTuberというものが広く認知された。マス広告よりも遥かに手軽でお金のかからないプラットフォームは貴重で、発信側と視聴側、それぞれに大きなメリットがある。
視聴する人々は、そのタイミングを指定されず、昔は次回のドラマを楽しみにしていた人々も、今では「好きなYouTuberの動画を楽しみにする」というスタイルが出来上がっている。
一方で動画を発信する立場の人々も、YouTubeにおけるプロモーション施策にかなり力を入れていると想像する。10年前と違い、ただただコンテンツの質が高いだけでは、視聴者は増えず、それでは収入に繋がらないからだ。そして基本的にはTVタレントのようにスポンサーを気にする必要もない(例外はある)。
しかし、YouTubeで音楽を聴くのと、歌詞カードを見ながらCDを聴くのとでは、その「本質」は大きく変化するのではないだろうか。YouTube上では当然のように【音=聴覚】に加え、【映像=視覚】が加わる。「情報の90%は視覚から」と言われるように、MV一つから、その「音」を積極的に聴こうとは思わないのだ。
②「音楽」を聴いている
しかし、少なくとも私自身は「MV」が好きなのではなく「音楽」が好きなのだ。そして私は「音楽」を聴きたい。その覚悟のあるアーティストに積極的にお金を使いたいと強く感じる。CD一枚、ライブ一本、純粋な音のみで勝負できるアーティスト。こういった類のアーティストが、今、日本にどのくらいいるだろう。
MVやYouTubeは確かに素晴らしい。私もその恩恵を受けているし、YouTubeの利用頻度はかなり高い。
だが、MVにあまりにも情報を詰め込まれすぎると、その曲を受け取る人はその「情景」「状態」「意味」しか想像できなくなる。つまり想像の幅に途轍もない制限がかかってしまう。これは本当に大きな損失であり、特にクリエイティブよりの仕事をしている人にとっては痛手でしかない。
広い原っぱやスタジオでバンドセットを背景に歌うなら構わないが、そのMVに内容が積み重ねられてしまえばしまうほど、「音」を感じることはせず、その詞の意味を汲み取ることもないし、ディストーションを感じることもない。
③ミュージシャンの矜持
冒頭に書いたように、今の時代の「音楽」のヒットには既存の広告戦略やタイアップ戦略では不十分だと言う。そして楽曲の「良さ」だけでも当然売れない。売れるにはMVを中心とした視覚分野のプロ、マスメディア戦略、ヴィジュアルの良さ、販促物のデザイン、リスナーと接するチャネルの選択、ポジショニング…。そういったことが積み重なって、やっと1,000枚、10,000枚売れていく。
だが、ミュージシャンは「音楽を作ってそれを売る」ことが職業だ。ミュージシャンに求めるのは「エモいMV」ではなく、「音」である。音によって心動かされ、音によって想像を掻きたてられ、音によって明日を生きるエネルギーを充満させられたい。音。
私は音を聴きたい。
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ワダアサト
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