クイーンが「最大の問題作」と呼ばれるHot Spaceをリリースしたのは1982年のことだった。Bohemian Rhapsody、Killer Queen、Don’t Stop Me Nowなどといった、言わば彼らの代表作と呼ばれる楽曲たちは、恐らく多くの日本人に知られるところの楽曲となり、既にバンドとしての「QUEEN」の地位は確立されている。
今日はそんなバンドとしての「QUEEN」に風穴を開けるべく、このHot Spaceについて少し触れていきたい。
①Hot Spaceについて
②背景
③リアルタイムじゃないことが重要
①Hot Spaceについて
まず冒頭にも申し上げたようにクイーンがこのHot Spaceを発売したのは1982年のことだった。クイーンが1stアルバム「QUEEN」でデビューしたのは1973年のことだから、デビューから凡そ10年後のアルバムということになる。
QUEEN / Hot Space 1982
クイーンにおける広く知られるイメージは、「ポップかつメロディアスでありながら、複雑。技術的な部分の存在感、ドラマティックで壮大な楽曲構成」的な感覚だろうと思われる。
一方でこのアルバムHot Spaceは形式的なHR/HMというカテゴリの中で評価されるには、少し戸惑いがある。というのも初期三部作「Queen~Sheer Heart Attack」までの音楽性と比較すると、あまりにも突飛な印象を受けるし、クイーンのギターサウンドを担う最大の核とも呼べるオーケストレーションはほとんど皆無に等しいからだ。デヴィッド・ボウイとの唐突なコレボレーションも、賛否両論だったとされる。
このHot Spaceというアルバムは、ブラックミュージックやファンクからの影響が顕著で、サウンド的にはシンセベースが前面に出ている。フレディ自身の抑圧されたエネルギーがギラギラと爆発したような印象で、目が覚めるような奇想天外な楽曲とサウンドが提供されている。
そしてこういった路線はAnother One Bites the Dustが収録された1980年のアルバム「The Game」からの影響を色濃く受けたものだった。
QUEEN / The Game 1980
まずは聴いていただければ分かると思うが、いわゆるクイーンのパブリックイメージとは程遠いアルバムが、このHot Spaceであると言える。
そして上記理由によって、当時の評価はそこまで高くなく、それは現在に渡るまで賛否両論を引きづり続けている。(尤もクイーンが正統派ハードロックバンドと認識されるのは、かなり後の方)
②背景
ではこの問題作と呼ばれるHot Spaceはどのようにして誕生したのだろう。
それはバンド内部のおける力関係の変化と、先述したAnother One Bites the Dustの商業的成功、そして他ならぬフレディその人のダンス~ブラックミュージックへの傾倒だった。フレディは毎晩のようにゲイクラブに足を運び、そこで流れる音楽に心奪われていくことになった。このあたりのバンドとしての衝突や軋轢は、映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも描かれている。
アルバム「The Game」にてシンセサイザーの大規模な導入を行い、「クイーンは中期~後期に向けてポップになっていった」(このポップとは音楽カテゴライズ上のポップではなく、印象論としてのポップ)と呼ばれ、Hot Spaceは当時のリスナーや評論家には「失敗作」とまでこきおろされた。
③リアルタイムじゃないことが重要
しかし私がこのアルバムをはじめて聴いた時には、決して「失敗作」などとは思わなかった。
私は当然このアルバムをリアルタイムで聴いていたわけではない。だからこそ①②で書いてきたような「既成事実」を知らぬ状態として、このアルバムに出会うこととなった。
だがこの「評価の差」が音楽の面白いところで、時代やその時代の経過、既成事実を知っているかどうか、によって音楽の評価は大きく変わっていく。
パブリックイメージとしてのネガティブな印象論は、実は確定されたものではなく、ぐらぐらと揺らぐ可能性を十分に秘めている。だからこそ「古臭い」「駄作」「失敗作」などというアルバムも、今の人が聴き「そんなことねーじゃん」となることは十分考えられると言える。
リアルタイムではないということはマイナスどころか大きなプラスでもある。だから既存のイメージに騙されることなく、たくさんの音楽を聴いてみてほしい。
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