Green Day
21st Century Breakdown
2009
歴史は繰り返すのか?
2004年、強い言葉で自国を批判したGreen Dayがリリースしたのが「American Idiot」でした。名盤American Idiotリリースの背景には2003年のイラク戦争があり、当時の米・ブッシュ政権を強烈にこき下ろしました。
一方で90年代後期からガレージ勢によって、パーソナルな痛哭を共有していく、あるいはそれらを求めてロックを鳴らしていっていたのに対し、Green Dayは前提として”パンクはエンターテイメントの範疇に在り、スケールの大きな世界で描く”行為を行ってきたように思います。つまるところ、コミュニティそのものを煽動性のパンクで以てカウンター的にマーケットに入り込んでいったとも言えます。
ですが時代は進み、それらに求心力がなくなり、かつてのようなシーンの盛り上がりを見せなくなってきました。僕も、同じように、Green Dayを知らぬ間に聴かなくなり(聴く必要がなくなった)、僕の中のGreen Dayが止まっていました。
しかし10年を経た2022年の今、自由主義的かつ民主主義的な枠組みの中で足並みを揃えてきたこの数十年間の世界の秩序が、まるで100年近く前に巻き戻ってしまったような印象を受けています。
故に、このアルバムを久しぶりに引っ張り出して聴くと、想像以上に魅力的に聞こえ、また違った聴こえ方にもなり、尚も無意味と有意義の狭間を彷徨っているような印象を持ちます。事実を述べると、僕のGreen DayはDookie~American Idiotと21st Century Breakdownで止まっています。しかし、より一層深みと円熟味を増し、バラードの比率が増えた本作は、今こそ再定義され、再評価されても良いような気がするのです。
「平和」というものを、あらゆるロックバンドが歌い、リスナーが聴き、しかし一方ではそれを流してきていました。僕が知っている所だけで言うと、当時のPearl Jamもまた、2002年に「Riot Act」をリリースし、M12「Bu$Hleaguer」でポリティカルな歌詞を紡いでいます。勿論、背景には9.11も含まれますが、それだけに留まらず、RATMやSOADなどのバンドも強烈なイデオロギーの持ち主であって、様々な言葉と態度で平和を希求してきました。
パンクか否か
本作が特徴とする一つの大きなポイントは、American Idiotに続き明確なコンセプト・アルバムであるという点です。
アルバムは全体を通して、
第一幕:Heroes and Cons(ヒーローとペテン師)
M2「21st Century Breakdown」
~M7「Last Night on Earth」
第二幕:Charlatans and Saints(イカサマ師と聖人)
M8「East Jesus Nowhere」
~M13「Restless Heart Syndrome」
第三幕:Horseshoes and Handgrenades(馬蹄と手榴弾)
M14「Horseshoes and Handgrenades」
~M18「See the Light」
という構成から成り立ち、M17「American Eulogy」では、A:Mass Hysteria、B:Modern Worldによる組曲構成となっています。
一方で、パンキッシュに構成された前作よりもその鳴りはやや身を潜め、より「真面目な」あるいはシリアスな社会的テーマに真正面から挑んでいったような感触を得ました。故に様々にパンクが変容していく中で、これらは一連の「ポップパンク」なるものに昇華、または変化していきました。
サウンドとしては、前作「American Idiot」よりもたおやかで、よりメロディアスな楽曲が増え、ロッカバラッド的構成に寄ったものとなっています。パンクとしては違和感があるものの(しかしパンクであってもメロそのものの良さは大事だと思っています)、美しく紡がれたメロディを、丁寧に歌い上げるビリー・ジョー・アームストロング。
緩やかに回っていく毒と、ロックをGeneration Zeroの手に再び取り戻そうとするその意気には、やはり共感する部分もあり、2000年代にアメリカが失った”何か”を復権させる心構えに満ち満ちています。
The OffspringやSUM 41など、彼らGreen Dayに近しいバンドはいようとも「Green Dayの存在は唯一無二なんだ」と、この2022年の今、思い直しました。
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