ロック、特にUKロックはファッションに大きな影響を与えてきた。その筆頭はもちろんビートルズであり、彼らのスタイルは時代のファッションを牽引してきたといっても過言ではない。
UKにおける60’sロックン・ロールからはビートルズやストーンズなどが、70’sパンクからはピストルズ、ラモーンズ、クラッシュなどが、80’sニューウェーブ(ポスト・パンク)からはジョイ・ディヴィジョン、カルチャー・クラブやデュラン・デュランなどが、当時のモードを率いてきたと言える。
ビートルズ(引用:https://americanwave.ti-da.net/より)
ブリティッシュ・インヴェイジョンによって、UKロックバンドがアメリカにて巻き起こした旋風も、70’s後半~80’s前半にはニュー・ウェーブのワンジャンルとしてリバイバルし、ネオ・ロカビリーなるブームが訪れた。一方USではカート・コバーン率いるニルヴァーナのグランジロックも、日本のメインカルチャーに大きな影響を与えた。
このようにロックとファッションは絶対に切っても切れない親和性があり、相互的に影響を与えてきたと言える。
そこで今日は今までOMOTE TO URAがあまり言及してこなかった「映画とモード」について、全二回に渡り掘り下げて書いていきたい。
①麗しのサブリナのジバンシィ
②マックイーンと映画
③まとめ
①麗しのサブリナのジバンシィ
恐らく最も言及されている映画におけるファッションはビリー・ワイルダーの「麗しのサブリナ」(1954)だろう。そしてこの映画の衣装デザイナーを務めたのがジバンシィであることも、既に知っている方のほうが多いと推察する。
オードリー・ヘップバーン(引用:https://cahiersdemode.com/より)
上図のオードリーが装うドレスはあまりにも有名で、「麗しのサブリナ」が公開される一年前のSSコレクションにて発表されたジバンシィの作品(オートクチュールなので「作品」と呼称する)だ。
その後ジバンシィのデザイナー(創設者)であるユーベル・ド・ジバンシィが95年に引退すると、後任には後にクリスチャン・ディオールを担うことになるジョン・ガリアーノがデザイナーに就任。しかしガリアーノはジバンシィのコレクションを二回のみ手掛けただけで、ジバンシィのデザイナーはアレキサンダー・マックイーンに引き継がれることになる。
しかしこの男、アレキサンダー・マックイーンはあまりにも突出した才能を持っていた。今後、世界の情勢がどのように変化していこうと、彼のようなデザイナーは二度と表れない。
②マックイーンと映画
アレキサンダー・マックイーン(Photographer: Ann Ray)
1992
マックイーンは92年に自身のブランドAlexander McQUEENを立ち上げると、同年セント・マーチンズの卒業コレクションにて「JACK THE RIPPER STAILS HIS VICTIMS(獲物を狙う切り裂きジャック)」なるコレクションを発表した。(下図参照)
1992S/S JACK THE RIPPER STAILS HIS VICTIMS
(引用:https://origin.anothermag.com/より)
1993
翌93年にはマーティン・スコセッシによる「タクシードライバー」(1976)をモチーフにしたコレクションを発表。
タクシードライバー:マーティン・スコセッシ
(引用:https://luckynow.pics/taxi-driver/より)
1995
そして95年にはコムデギャルソン、ヨウジヤマモトがパリに進出した時のような衝撃的コレクション「ハイランド・レイプ」を発表。スコットランド発祥のタータンをふんだんに使用し、女性性やジェンダーを蔑ろにしているとされ、当時のファッションジャーナリズムは批判を重ねた。
1995F/W Highland Rape(引用:https://www.vogue.co.jp/より)
1996
翌1996年にはトニー・スコットによる「ハンガー」からインスピレーションを受け、「ザ・ハンガー」と題されたショーを敢行。デヴィッド・ボウイが主演を務め、衣装を担当したのはイヴ・サン・ローランだった。
ハンガー:トニー・スコット
このコレクションではマックイーンのクリエイティビティはより過激さを増し、グラム・ロック~ニュー・ロマンティック期において、ボウイと共に「耽美的」美意識を醸成していくことになる。下図ビスチェ(透明のボディ)には生きたままの寄生虫を張り巡らせ、センセーショナルな議論を呼んだ。
1996S/S The Hunger(引用:https://www.vogue.com/より)
また個人的には日本のブランド、アンダーカバーへの影響も大きく、このあたりの感覚がアンカバ・パリ進出の際の「美の概念」の考え方に大きく影響している。
その後
その後もマックイーンは、映画をはじめとした小説などの文化的なものからインスピレーションを受け、コレクションを製作していくことになるが、その極めつけはスタンリー・キューブリックの名作ホラー「シャイニング」だ。
シャイニング:スタンリー・キューブリック
(引用:https://www.youtube.com/より)
あまりにも有名なジャケットであり、キューブリックの特徴の一つ、左右対称の構図を利用し、リアリズムとシャープな感覚を見せた名作が「シャイニング」ではあるが、この流れが後の日本ブランド、アンダーカバーのキューブリック・オマージュへと繋がりをみせていく。
1999F/W(引用:https://www.vogue.co.jp/より)
このマックイーンのコレクションでは、ヴィクトリア朝のスノードームが、キューブリックのシャイニングで描かれたような迫りくる恐怖を表現していた。
また「シャイニング」をインスピレーション源にしたことで、マックイーンの耽美的あるいはダークな美的感覚に、ジバンシィで積んだ伝統的なクチュールのロマンティシズムが加わり、マックイーンは90’s~00’sを代表するデザイナーへと飛躍した。このマックイーンのロマンティシズムは、西洋的な旧価値観の古典主義と対をなし芸術や音楽、文学にまで広がりをみせることになる。
③まとめ
このようにアレキサンダー・マックイーンは孤高の天才でありながらも、映画とファッションの距離を詰めた唯一無二のデザイナーだったことがわかる。映画からインスピレーションを受け、コレクションを製作していったデザイナーは数多くあれど、マックイーンほど映画とファッションを高い芸術性と、求心力でもって昇華させたデザイナーは存在しない。
2010年に、当時40歳のマックイーンが自ら命を絶つまで、そして絶ってからも、彼のクリエイションは半永久的に残っていくはずだ。
身体の表面を布やニットで覆い、「美」を求めてきたファッションとその産業。しかしマックイーンは「人間の内面」をあぶり出す作業をした。そしてそのプロセスで「映画」というものが欠かせなかったことが分かる。
さて、次回の第二篇は日本ブランドと映画の関係性、コムデギャルソンの特殊性などについて書いていく。
”服は美しいものだが、外には現実がある。現実に耳をふさぎ、世界は楽しいと思う人に現実を伝えたい。”
Alexander McQUEEN
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