前回の「映画とモード vol.1」では主にアレキサンダー・マックイーンと映画について書いてきたが、第二篇(完結編)では、ジャパンブランドに焦点を当てて、映画とモードの関わり合いを書いていきたい。
①日本ブランドのインスピレーション源
②ギャルソンの特異性
③アンダーカバーとスタンリー・キューブリック
④ヨウジ・ヤマモトと北野武
①日本ブランドのインスピレーション源
日本のいわゆる大御所ブランドには、②~④で書くギャルソンをはじめとしたブランドがあるが、その他にもイッセイ・ミヤケ、カンサイ・ヤマモトなどがあり、若い世代ではアンカバをはじめとし、アンリアレイジ、サカイなどが躍進を遂げている。このほとんどのブランドが創立から10年以上を経ており、もはや「若手」とは呼べないが、ブランドのインスピレーションはそれぞれに異っている。
カンサイがデヴィッド・ボウイの衣装を製作したことは周知の事実だと思うが、このデザイナーもまた「グラムロック」からの影響が色濃いと考えられる。
デヴィッド・ボウイ
(引用:https://www.fashion-press.net/より)
ボウイは72年の名盤「Ziggy Stardust」に伴う初来日ツアーでも、カンサイに衣装制作を依頼している。
比較的新しいブランドであり、Trading Museumでも扱いのあるブランドの一つに「キディル」があるが、このキディルは70’sパンクからの影響を受けているし、インスピレーション源としては「パンク」や「ロック」であることは明白だ。
KIDILL(引用:http://www.memphis.jp/より)
このように「ロック」からの引用、オマージュを多用するブランドは多いが、「映画」との親和性を感じるブランドはそう多くはない。
②ギャルソンの特異性
一方、川久保玲が社長を務める株式会社コムデギャルソンは、①の文脈からすると最も特殊なブランドだと言える。川久保玲率いるコレクションライン(COMME des GARÇONS、COMME des GARÇONS HOMME PLUS)は、初期こそロックから影響を受けていると考えられるルックはあったものの、近年ではもっぱら「文学」あるいは「社会的・政治的事象」がその多くを占めている。
記憶に新しいのは比較的近年のコレクションである18-19F/Wでは「CAMP」と題されたショー。これは64年のスーザン・ソンタグ著の「キャンプについてのノート」における審美的様式に影響を受けていると考えられる。(「キャンプ」については別の機会に詳しく)
COMME des GARÇONS 18-19F/W
(引用:https://www.fashion-headline.com/より)
川久保がこの「キャンプ」なる価値に目をつけたのは、反骨精神の象徴である「パンク」が機能していない(スタイルとして確立されて、新しいものを生み出さなくなった)という考え方に拠るものだという。
③アンダーカバーとスタンリー・キューブリック
しかし「映画」から影響を受けていることが如実にわかるブランドがある。それが「アンダーカバー」だ。もちろんこのブランドも、ロック(特にパンク)やアート、文学に影響を受け、また与えてきたが、「映画」というものを見つめた場合、アンダーカバーは少し特殊性を持っている。
vol.1でも書いたようにマックイーンが特定のコレクションのバックボーンに使っていたのはスタンリー・キューブリックの「シャイニング」だった。しかしアンダーカバーもまた、マックイーンよりも分かりやすい形で、キューブリックに多大な影響を受けているデザイナーの一人と言える。
UNDERCOVER 19-20F/W
10.20 sacai / UNDERCOVER
上図二枚は明らかに、キューブリックの「時計じかけのオレンジ」であるし、下図二枚は「シャイニング」そのままといっても過言ではない。
下図のショーは「10.20 sacai / UNDERCOVER」と題され、かつて東京ブランドが元気のあった頃に開催されたギャルソンとヨウジの合同ショー「6・1 THE MEN COMME des GARÇONS & Yohji Yamamoto」に倣ったものだが、デザイナーである高橋盾はカルチャーあるいはサブカルの美化されたオマージュではなく、鮮明で現代的かつ完璧な形で再構成したと言える。
(追記:最新のコレクションでも高橋は黒澤映画に影響を受け、ジャポニスムに基づく洋服を発表しました / 2020.1.20追記)
④ヨウジ・ヤマモトと北野武
アンカバが過去のいわゆる名作映画に影響を受けてきた一方で、日本のブランド、ヨウジヤマモトはマスキュリズムやダンディズムを介し、邦画にも影響を与えています。その筆頭が北野武監督作品だ。
これまでの北野映画の衣装の多くは、山本耀司によって手掛けられたものであるし、北野映画を観ることによって、当時の男性性あるいは男性像が理解できる。(特に初期~中期の北野作品)
Brother
Dolls
北野映画のアウトレイジ以前の作品はエンターテイメント、つまり一般的な娯楽映画とは大きく異なり、高い芸術性を追求した作品が多いが、そのたけし独自の「美意識」において、ヨウジの衣装は必要不可欠だったと言える。半ば究極とも言えるリアリズムや、いわゆる「キタノブルー」などといった北野映画を形作る要素の中で、欧米人にも通じうる「日本という国の普遍的情緒」を担ったのは山本耀司だと言える。
私の考え方としては、「衣装」が素晴らしい映画は「面白い」傾向にあり、逆に「衣装」に一切のこだわりのない映画は「面白くない」傾向があるように思える。今回の「映画とモード vol.1 2」ではデザイナーとモードの関連性を書いてきたが、実際のところ、映画におけるファッションはスタイリストによって大きく変わるというのもまた事実。
映画における「衣装」はその一着で、その映画の中の世界を決定してしまう。その人の服が、登場人物のバックグラウンドを教えてくれる。そういう表現をしてくれる映画が多くなってくれることを期待して本章を終わる。
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