「産業ロック」あるいは「商業ロック」という言葉を聞いたことがある方も多いことだろう。この言葉(主に産業ロック)は、日本の音楽評論家かつロッキングループの代表である渋谷陽一氏によって呼称されたとのことだが、今回はこの言葉、あるいはこの体裁について、はじめて真剣に考えてみたい。
①産業ロックの正体
②スタジアム・ロックとは?
③ロックにおける商業主義の是非
④ダイナソーロックの豆知識♬
①産業ロックの正体
Googleで「産業ロック」を検索すると、まず目に飛び込んでくるのは、前述した「渋谷陽一」だ。渋谷氏は伊藤政則と並び、知名度の高いロック評論家であり、ロッキンジャパンに足を運んだことのある方は知っていると思われる。そう、メインステージのファーストアクトの前に挨拶をするおっさんだ。(失敬)
その渋谷陽一氏のWikipediaには「産業ロック」という欄が存在し、そこにはこのように記されている。
”「産業ロック」という言葉を日本で初めて使ったのは、渋谷である。渋谷は、当時日本やアメリカで人気のあったジャーニー、フォリナー、ボストン、TOTOらを産業ロックと呼んだ。渋谷の産業ロック論は個人的なものではなく、英米の音楽メディアと共鳴しており、70年代後半のアメリカでも、産業ロックと類似した「コーポレート・ロック」「ダイナソー・ロック」(後に詳述)「アリーナ・ロック(英語: Arena rock)」という用語がさかんに用いられていた。 ”(引用:Wikipediaより)
フォリナー(引用:https://middle-edge.jp/より)
つまりここで言われる「産業ロック」とは、「万人受けするサウンドメイクがされたロック」を指し、時にその呼び名は「スタジアム・ロック」などとも呼ばれる。渋谷氏はこの産業ロックを「類型的なメロディ、大袈裟なアレンジ、保守的な音楽性で、産業ロックは動脈硬化そのものなのだ」とまで言い放っている。
②スタジアム・ロックとは?
一方、フォリナーのWikipediaページには〈スタジアム・ロック(産業ロック)〉とも記されている。その定義はと言うと、
”1970年代以降の大会場を中心とした派手なライブや、強いコマーシャル性を特徴とした商業主義的なロックを意味する用語である。”(引用:Wikipediaより)
とのことだ。最も分かりやすいのはどでかいスタジアムでのライブが印象的なオーストラリアのバンド、AC/DCだろう。
AC/DC Live At River Plate – LPCM Stereo
(引用:https://music.apple.com/jp/より)
その他にも、一覧にはスタジアム級の会場でライブを開催することのできる動員力をもったバンドが羅列されている。そのジャンルはなにも①で書いたような狭い範囲のバンドに限らず、HR/HMではアイアン・メイデン、ヴァン・ヘイレン、エアロスミス、ジューダス・プリーストなどが、更に驚くことにブリット・ポップの代表格であるオアシス、ハードロックの元祖とも言えるレッド・ツェッペリンも含まれている。
「産業ロック」「商業ロック」「スタジアム・ロック」「ダイナソー・ロック」。
呼び方はどれでもいいのだが、これらの括りに入れられるロックバンドに共通して言えることは、「売れている」ということだ。
③ロックにおける商業主義の是非
「売れている」ということと直結するのが「商業主義」という考え方だ。この商業主義(英:commercialism コマーシャリズム)は、
・利益を最大化しようとする傾向
・金銭的利益を得ることを第一とする考え方
という考え方を指す。
このコマーシャリズムは今や芸術・文化に限った話ではなく、スポーツにまで及んでいる。とりわけ小川勝著の「オリンピックと商業主義」(2012)に見られるように、商業主義は批判の対象にもなっている。
しかし重要なのは、「商業主義=悪」と捉える考え方ではなく、「商業至上主義=悪」ではないだろうか。よくアパレルでは「ビジネス V.S クリエーション」という構図で語られることが多いが、「売れる」ための戦略や「売れる」ための努力は批判されるべきではない。
誰かは、あるバンドを「商業主義に堕ちた」「売れる為に魂を売るのか」「音楽の良さは売上と比例しない」と言い、非難するかもしれない。しかし、ビートルズは偉大なバンドであることに異論がある人はいないだろう。その素晴らしさ・芸術性は彼らの音楽性に依拠していることに間違いはないが、商業的 / ビジネス的成功があってはじめて影響力を持っていることも、また事実だ。(※ビートルズは音楽にダイレクトに関係しない戦略を幾つも実行している。)
性格の悪い言い方をすると「売れる為のロックなど…」ではなく「売れもしないで喚くなんて…」ということに尽きる。だから私は、ロックにおける商業主義を全肯定するし、欧米のロックバンドが欧米でまず売れてくれなければ、日本のサマソニもフジロックも終わってしまう。更には小さな島国の私たちの耳まで、世界のロックは届かない。
ロックにおける商業至上主義は批判されても、商業主義的価値は批判されるべきではない。
④ダイナソーロックの豆知識♬
・パンク勃興期の70’s後半、ピストルズのジョン・ライドンがツェッペリンを「ダイナソーロック」と批判。しかし80’s以降ピストルズはKashmir / Led Zeppelinをカバー。ロバート・プラント(LZ)には「あんな曲はとても書けない」と告白。かわいい。
・グランジ勃興期の90’s~カート・コバーン/ニルヴァーナとアクセル・ローズ/ガンズ・アンド・ローゼズの全面戦争勃発。カートはアクセルに対し「くそ野郎、俺たちはガンズのようななんのメッセージ性も持たないバンドとは違う」と発言。カートの自死後、両バンド間は和解。
・日本のロックバンドB’zの2017年のオリジナルアルバムのタイトルは「Dinosaur」(ダイナソー)。「Dinosaur」には「時代遅れの産物」などの中傷的意味もあるが、「自分たちがそこに楽しみを見出してやる」という想いで製作。アルバムは時代遅れなサウンドだった(誉め言葉です)
・最後に「産業ロック」にくくられ、未だロック好きの間で「彼らを好きな人ってダサいよね」と陰口を叩かれるバンドで記事を締めたい。今ネット界隈で少し話題のLivin’ On A Prayer from BON JOVI。
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