かつてサイケデリックロックに留まらず、ロックという幅の広いものを率いてきたギタリストにJimi Hendrixがいる。ジミヘンはエレクトリックギターを演奏する者として、その高い技術や表現力を備えていただけではなく、「ギター」という楽器における表現の可能性を大いに飛躍させたと言える。それに異論がある方はまずいないだろうし、きっと全てのギタリストは等しく彼の影響をどこかで受けているはず。
今から凡そ50年前にその生涯を閉じてからも、ジミヘンの曲はところどころで耳にし、そして歌い継がれている。
一方ジミヘンを失った現代ロックに、まったく希望がないかと問われるとそれは違う。というのもTash Sultanaというオーストラリアの女性ミュージシャンがとてつもないほどにエモーショナルなギター表現をしてくれているからだ。音楽好きには「今更」感さえあるけれど、今日はそんなタッシュ・サルタナについて書いていく。
①「天才」と言いたくないけれど…
②「惹かれる」ってこういうことかもしれない
③2020からの「ロックとギター」
①「天才」と言いたくないけれど…
タッシュ・サルタナがヤバい。兎にも角にも、ヤバい。この「ヤバい」という表現の中には、あらゆる賛辞を包括する言葉が詰め込まれていると考えてほしい。このミュージシャンは間違いなく「天才」と言っても差し支えないと思う。
Apple Music Flow State / Tash Sultana
2018年に上図最新作「Flow State」が発売された。まずはこの最新作に耳を傾ければ、その所以が理解できるはずだ。(※このライブ映像だけでも観てほしい)
基本的に「音楽」というものはメディアやサブスクサービスそのものによって、何かとカテゴライズされがちだけれど、このタッシュ・サルタナの「音」は時にロックで、時にジャズで、時にファンクで、時にテクノで、時にクラブへと変貌する。ジミヘン、ラリー・カールトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、カルロス・サンタナといった数々の心に残るギタリスト達の魂が、宿っているとしか考えられない。(まだお亡くなりになってない人もいます)
綿密かつ緻密に計算され尽くされたサウンドメイクの賜物である今作は、感情的に聴いていても身震いしてしまう。それほどまでに美しく、儚く、力強い。ハードロック由来のブルース成分、あるいはパンク由来の劇場型のロック、それらをタッシュ・サルタナというフィルターを通し、まったく新しいサウンドへと転向させている。
②「惹かれる」ってこういうことかもしれない
タッシュ・サルタナをはじめて聴いたのが2019年のはじめ頃だった。その時から既に、私はこのミュージシャンに翻弄されている。純粋な音楽のみに、本当に惹かれている。
Tash Sultana
(引用:https://www.summersonic.com/より)
ミュージシャンには幾つかのタイプが存在している。ギターだけに特化したギタリスト、ギターをはじめとした楽器をある程度まで弾けるタイプ…などという具合に。
しかしサルタナは、ギターに限らずヴォーカルから多くの楽器を、全て「超高度」なポイントで演奏する。楽器側は「その音、鳴らしてくださってありがとう、サルタナさん!」ってな具合に、会話をしていると思う。
そして声も大変に素晴らしく、セクシュアルな要素といわゆる「渋さ」「カッコよさ」みたいなものが、丁度いいポイントで同居している。最新作が話題となっている(だろう)テーム・インパラや、昨年から躍進し続ける若手ビリー・アイリッシュなどと同等に、もしくはそれ以上に注目を浴びていなければ納得がいかない。
③2020からの「ロックとギター」
そして「ロック」というカテゴリは、様々な論者やリスナーによって言及されているけれど、恐らくこのサルタナ的ニュアンスが2020年以降のメインになっていくのは間違いない。ハードロックやニューメタル、ポスト・パンク、あるいはハードコアだって十分に素晴らしいし、私はそのカテゴリを愛してやまないけれど、2020以降にそれらがかつての勢いを取り戻し復権することは「ない」とみている。
それに長らくロックの世界では世代交代が進まないと嘆かれている。世代交代を進めるべきかどうかということについては、また別の議論が必要だけれど、このタッシュ・サルタナはもしロックの世代交代が進んでいくのなら、間違いなくその急先鋒の一人であると考えている。
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