今日から全5回に渡り、ロックの歴史をOMOTE TO URAがご紹介する。
ロックは社会体制や政治、そしてファッションとも密接に関わってきた。
ロックを知ることで、今、街で流れる”音”を知る。
①音楽のはじまりとは
②ジャズの大衆化
③カントリー、R&Bからロックへ
④エルヴィスプレスリーの時代
⑤ビートルズのデビュー
①音楽のはじまりとは
今やロックを知らない人はいない。日本では”邦ロック”というカテゴリまでもが表れ、一般のリスナーもロックがどんな音楽なのかをなんとなくイメージできる。
しかしそもそもその”ロック”とはどこからはじまり、”音楽”とはどうやって誕生してきたのか。このシリーズではUK、USから日本のロックまでを辿り、「今」を紐解いていきたい。
「音楽」とは、西洋からはじまった文化で、そのはじまりが「いつか」ということはよく分かっていない。音楽という概念はギリシャ、ローマなどに代表される古代からあるとされているが、中世では音楽の出自を「キリスト教」が担っていた。
つまり「音楽」はキリスト教のための教会音楽や讃美歌などだったと言える。
16c
16世紀になると、古代ギリシャ・ローマなどの古典文化の価値が見直されるようになった。これは人文運動であり、再生・復活を意味するルネサンスと呼ばれた。そしてそれに伴い音楽を含めたカルチャー全体がルネサンスへと傾倒していく。
17c
17世紀、フランスでは絶対王政が確立された。そのことによってルネサンスはバロック様式へと形を変えた。このことでオーケストラなどにおける欧州独自の音楽理論がうまれたとされている。
しかしこの頃の音楽は、支配者(権力者)のための音楽であった。
18c~19c
この頃になると、バロック音楽は再び形を変え、完全なる古典(クラシック)音楽として確立されるようになった。この頃の代表的な作曲家はショパンであり、それらの作曲家は王政から支配権を取り戻したブルジョワジーのためのものだった。
(出典:http://www.good-appeal.co.jpより)
②ジャズの大衆化
一方、この頃アメリカでは黒人に対し、厳しい奴隷制度が存在した。1861年には奴隷制度をめぐって南北戦争が勃発、1865年に南北戦争終結で奴隷は解放されたが、その後も人種差別という社会制度の中で苦しんだ。
そんな中、黒人たちは教会音楽のゴスペル、ブルースを発展させたジャズを奏でるようになった。
ゴスペル、ブルース、ジャズはまさに黒人のためのものであり人種性が強かったが、当時の音楽には白人音楽からの影響が強いとされている。
1900年ごろ
1900年頃になると、ニューオリンズでジャズという概念が一般化し、大衆にまで拡がりをみせはじめる。しかし依然としてジャズは、奴隷だった黒人が生み出したということで、白人至上主義の人々からは弾圧されていた。
1920年ごろ
この頃になると黒人たちがジャズを確立させた一方で、白人たちはカントリーミュージックを確立させる。
1940年ごろ
1940年にはジャズがアメリカ北部へと大きく躍進していった。そして、この頃活躍していたジャズシンガーがフランクシナトラである。そしてフランクシナトラがスーパースターに上り詰めたのち、電気音楽をジャズやブルースに加え、R&B(=リズム&ブルース)が一つの音楽ジャンルとして確立された。
(フランクシナトラ)
1950年代
そして1950年代に入ると、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ビル・エヴァンスなどが頭角を現しはじめる。
58年にはジョン・コルトレーンが「Blue Train」を発表。(出典:https://www.udiscovermusic.jpより)
③カントリー、R&Bからロックへ
そして50年代中期になると、20年代に確立されたカントリーミュージック、40年代に確立されたR&Bが相互的に影響しあって、ロック・アンド・ロール(rock’n roll)が誕生する。
1955年
ビル・ヘイリーの曲「Rock Around the Clock」が、映画「暴力教室」の主題歌として起用されたことで、当時のティーンエイジャーに爆発的にロックが広まっていくこととなった。
しかしビルは中年であったことから、ロックはメジャーなカルチャーにはならなかった。しかしこの後に登場するある一人の男によって、ロックンロールは反逆の音楽となっていく。
また、カントリーとR&Bの融合音楽に「ロック」と名付けたのは、当時のラジオDJを務めていたアラン・フリードとされている。
④エルヴィスプレスリーの時代
1956年、エルヴィスプレスリーがメディアで「Heart Break Hotel」を歌唱する。ビルとは違い、若く、甘いマスクをもつエルヴィスプレスリーは、一瞬にして全米の若者たちの間でアイドルになり、ロックの創始者となった。
(出典:https://rollingstonejapan.comより)
プレスリーは、セクシュアルな動きで歌を歌いメディアに露出していたため、当時の保守派や良識ある大人たちから非難されており、マスメディアは放送禁止の措置をとるなどした。
しかし、同時期に普及していったレコードプレーヤーやテレビなどと共に音楽を消費するシステムを作り上げ、これまで絶対王政に伴う支配者(貴族や王族)、ブルジョワ、クチュリエなどが牽引してきたカルチャー(詳細は「ファッションの歴史第一篇」)を、若者が作り上げていく構図にした。
そして同時期に初期のロックンロールを担う存在、チャック・ベリーやリトル・リチャードなどが登場。その後、ビーチボーイズがアメリカで登場し、ウエストコーストロック、あるいはサーフロックという概念を確立。
また、ロックがティーンエイジャーに受け、ビジネスになると分かると、ロックにおける音楽は一気にビジネスライクになっていく。しかしその反動で、フォークソングの人気が高まっていく。
そんな中、音楽で社会問題に切込み、哲学的で反戦的なリリックを歌うボブ・ディランが一部に絶大な人気を誇っていた。
(出典:http://www.billboard-japan.comより)
1960年代
しかし60年代に入ると、プレスリーの徴兵、前出したアーティストの死去、スキャンダルなどでロックは勢いを失い、ポップスが全盛となる。
また、この頃のロックは作曲家、作詞家、アレンジャーなどがきっちりと分担されており、歌い手が音を作ることはなかった。
そしてそんな中、あるアーティストが産声をあげる。
⑤ビートルズのデビュー
1962年
現代も聴かれ続けているイギリスのバンド、ザ・ビートルズが「love me do」でデビューする。彼らは全員楽器を演奏し、その曲も自分たちで製作するという点において新しかった。1964年にはアメリカ進出を行い、イギリスのアーティストがはじめて全米に受け入れられ、絶大な支持を集めた。
このことによって、イギリスロックの本格的なアメリカ進出がスタートする。
(出典:https://rollingstonejapan.comより)
そしてその後ストーンズ、キンクスなどがデビューし、ロックの形はジミヘンからHR、パンクへと形を変えていくことになる。
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