FASHION

ファッションデザインの限界

 

日本を代表するファッションデザイナーは?

という質問には恐らく山本耀司、川久保玲、三宅一生、高田賢三などが挙げられる。新世代では高橋盾や渡辺淳弥、阿部千登勢などが挙げられるだろう。落合宏理や森永邦彦などもその括りに含めることもあるだろう。

そしてこの文章を読んでくださる方の多くが山本耀司や川久保玲は分かっても、森永邦彦は分からない、という状態だろうとも想像する。

多くのデザイナーが「新しいもの」を求め、そのクリエイションを行ってきた。しかし、そのファッションデザイン、クリエーションにはもう限界がきていると思うのは私だけではないはずだ。

 

 

①「新しいもの」はもう生まれない

②マルジェラの視点

③ビジネスの「新しさ」

 

 

①「新しいもの」はもう生まれない


ブランドビジネス、ファッションビジネスを運営していくうえで、「新しい」という言葉を多用するブランドがある。そう、コムデギャルソンだ。社長の川久保玲は、メディアでしきりに「新しいものを探す」といった内容のことを語っているし、彼らの販促にもその言葉がよく使用される。

コムデギャルソン社は、その言葉を体現するように、確かに毎コレクションで「見たことがない」ものを創りだしている。美しいか、醜いか、ということは置いておいて、「見たことがない」という点においては、確かにその言葉通りのデザインだ。

しかし、コムデギャルソンが「新しいもの」「見たことがないもの」を生み出そうとするその姿勢そのものは、もはやマーケティングとプロモーションのためのツールでしかない。そして川久保玲という人は、それを理解したうえで、また社内のビジネスを担う田中蕾も、よくそれを理解したうえで行っている。クリエーションと叫ぶだけでは、何も生まれないことを知っているし、川久保は途轍もないビジネスウーマンなのだ。コムデギャルソン社は、超強力なまでのブランディングの化け物と言ってもいい。

だが、そのブランディングの一環の言葉に心酔し、本当に「新しいものを生み出す」ための作業を行っている場所がある。それがファッション専門学校だ。

本来ならば、専門学校は「ギャルソンはなにも本当に新しいことを生み出す会社なのではなく、ブランディングの一環で言っているだけなのよ」と教えなくてはならない。それに「売れるためのビジネス」を教えなくてはならない。しかし専門学校の教育は、ただひたすらにデザイン画を描き、民俗学も宗教も思想も哲学も勉強せぬまま、トワルに起こし、ファッションショー用の”作品”製作に時間をかける。

年間百万円近い学費を払いながら、そこで学ぶのはミシンの使い方だけだ。そして残るのは、「新しいものを生み出した」”風”なデザイン能力だけだ。高尚で、誰にも理解できないことが「価値」というような、そういった思想が渦巻いている。

クリエーションがファッションという概念を変えてきたのは確かだが、あくまで「服」というものは、人に「着られる」ためのものであるということはもの凄く重要なポイントではないだろうか。そしてだからこそ、服は製品なのだ。

 

 

②マルジェラの視点


ファッション業界人や専門学生に絶大な人気を誇るブランドにメゾン・マルジェラがある。マルタン・マルジェラがスタートしたブランドではあるが、マルジェラ本人が一切関わっていない現在も確かな人気を保持している。

しかしこのマルジェラというブランドも、また、初期よりそのデザインの方向性を大きく転換してきたブランドだ。最も分かりやすい好例が「古着の再構築」ではないだろうか。

モードにおけるクリエーションは、シャネル、ポワレなどによって大きな改革がなされ、ディオールによって「シルエット」の改革がなされ、川久保によって「概念」の改革がなされた。一方ストリートではジェームズ・ジェビア(Supreme)がデザインをグラフィックに、その他デムナ・ヴァザリアやゴーシャ・ラブチンスキーがクリエーションとは関係ない、マーケティングとプロモーションの舞台で変革を起こしてきた。

そういった中で、同じ土俵で戦わなかったのがマルジェラだ。マルジェラはコムデギャルソンに大きな影響を受けながらも、「過去のものに再び価値をつける」という視点でのクリエーションを行ってきた。自身の過去のコレクションを染め直しただけの「ニュー」コレクションを魅せたり、大量のUSED商品を買い付けて、それを縫製し、構築しなおすという「新しい」視点での服作りを行った。そしてそれはジョン・ガリアーノにブランドが渡ったあとも続いている。

つまり言い方を変えればファッション「デザイン」として、製品そのもののデザインを行ったわけではない。マルジェラは売り方を含め、実際の洋服が消費者の手に届くまでのフローをデザインしてきた。

比較的廉価な香水を販売したり、覚えきれないほどのラインを発表したりもしている。MM6のようなものもあるし、ブランド運営の安定的収入をしっかり確保しているのだ。

つまりマルジェラというチームにとっても、そしてファッションにおけるクリエーションを見渡したときにも、もう既に「ファッションデザイン」は「限界」を迎えている。服そのもののシルエットを変えたり、新素材を使ったり、概念を変えたりするのは、もう充分なのだ。アートも同じように、まったくもって「新しいもの」を一から生み出すことは、もうできない。

今活躍するほとんどのアーティストだってウォーホル、キースからの影響は受けているだろうし、そして、それこそが今評価される基準となり得ている。

 

 

③「ビジネス」の新しさ


だが、その一方でビジネスというものは、その時代によって常に大きく変化していく。iPhoneの登場前と登場以後では、まったく別のビジネスモデルが生み出されているし、その可能性は無限にあるはずだ。ファッション専門学生が心酔する川久保だって「ビジネスもデザイン」と語るように、その販路からモデルまでのやり口、切り口は無限にある。

私が個人的に面白いな、と思ったのは、あるファッションデザイナーが、月一回の展示会を移動車で開き、そこで一か月分のペイ可能な売上を立てるというものだった。もちろん売り方はアナログだが、ウェブとSNSも当然充実させている。更にプロモーションも地方の小さなメディアや個人を利用し行っているブランドだ。別に洋服の構造が新しいわけではない。ただ単純にその売り方が面白いし、人々も興味を持つ。そして彼女の売る洋服は、その売る地方の素材を利用しているという特異なポイントがある。

既存のフォーマットに乗せ、それを「ファッションデザイン」「クリエーション」と呼ぶ時代は、もうとっくに終焉しているし、だからこそ別の視点でファッションデザイン=ファッションビジネスを考えてもいいのではないだろうか。


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ワダアサト
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