Rock

INABA/SALAS「Maximum Huavo」を聴く

 

B’zの稲葉浩志と、名作ColorcodeやJam Powerにてそのユニークなファンク~ハードロック、サイケデリックロックを聴かせてくれるStevie Salasのユニット、INABA / SALASの二作目がリリースされた。

サラスはロッド・スチュワート、ミック・ジャガーなどといった言わば世界的なミュージシャンとの仕事を重ね、その結実が二枚目となる今作Maximum Huavoであると考えられる。

今日はそんな彼らのMaximum HuavoをOMOTE TO URA的に勝手に独自解説していく。

※音楽は自由に聴かれるべきであって、本章はその自由さを否定しているものではありません。こういう聴き方、見方もあるのね、と思っていただければ幸いです。

 

 

①状態としての新しさ以上の新しさ

②全てはスタイル

③サウンドについて

Ⅰ:WHOLE
Ⅱ:INABA
Ⅲ:SALAS

④Maximum Huavoの後に聴いてほしいアルバム

 

 

 

①状態としての新しさ以上の新しさ


INABA/SALAS / Maximum Huavo 2020

前作CHUBBY GROOVEから凡そ3年という期間を経て、この度リリースされたINABA/SALAS によるMaximum Huavo。まず、全体に流れる印象は「状態としての新しさ以上の新しさ」を感じるという点だ。

もちろん本作は2020年4月15日にリリースされたばかりの新作ではあるが、それ以上に”何か別の新しさ”を感じざるをえなかった。つまりこのアルバムは、間違いなく私自身が聴いたことのないタイプの音楽で、便宜上カテゴライズの必要があったとしても、その傾向が必ずしも万人に当てはまるとは考えられにくいアルバムだったからだ。

サラスというギタリストの持ち寄るファンクかつサイケデリック色の強いグルーヴに、B’zの稲葉浩志としてこれまで表現してきたハードロックのグルーヴ。これを単純に「サラス・ファンク × イナバ・ハードロック」としないところが、実に面白くて興味深くて良い。

よくメジャーな表現として使用される「化学反応」という言葉があるけれど、この作品はまさにそれを体現しつつ、そしてそれを軽く飛び越えるような、もっと言うと寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」の後者にも匹敵しそうな、それほどまでに魅力溢れたアルバムである。

 

しかし、いくら聴いたことのないアルバムでも「新しい」とは軽々しく言えない。でもこのMaximum Huavoに限って言えば、間違いなく新しい。では、この「新しさ」はどこからやってくるのだろう?

 

 

 

②全てはスタイル


その「新しさ」は今まで稲葉浩志というシンガー、そしてスティーヴィー・サラスというギタリストが表に出してきていなかった(出す必要のなかった)側面を、今作によって表現したからだと言える。

つまり、図に表すと下図のようになる。

個人的にはこの一点のみ、つまりは今まで彼らが(特にB’z、稲葉浩志ソロ)表に出してこなかった、アグレッシブなロック・フリーク・メンとしての一面(まるでロック好きな少年のような)を新たに見出すことができるということのみで、このアルバムを高く評価したい。

 

そしてM8なんかは特に前作CHUBBY GROOVEのライブでも披露されたザ・クラッシュ的な初期パンクのニュアンスを含むナンバーであるし、M11はいわゆる日本的な歌謡曲フックと、矢沢永吉以降のジャパニーズ・ロックに端を発する楽曲傾向もある。

 

そしてもちろんこのアルバムのサウンドが、シンセサイザーによって決定づけられていることは言うまでもない。しかしシンセと一口に言っても、割とB’z初期のサウンドはHR色は弱く、シンセサイザーが多用されていた。だがそのシンセサウンドは言わばTM NETWORK(小室)経由のJ-POP的な音使いだったとも言える。

一方本作においてはUKにおけるポスト・パンク~ニューウェーヴ以降のシンセサイザーのフィーリングを感じる。テクノ・ポップの様式的起源にもなった’70~のクラウト・ロックからの強い影響も感じるし、言うなればゲイリー・ニューマンやジャパン(特に’81:Tin Drum)的な方向性の決まっていない自由なシンセサイザーを感じる。

Japan / Tin Drum 1981

そしてそれら全てを以てして「全てはスタイル 飛び方次第」という結論に達する。この一節は稲葉浩志ソロの「羽」の歌詞の一部である。しかしその「スタイル」を形作ってきたのは、間違いなくB’zというバンドであり、だからこそいつものソロ以上にそして前作CHUBBY GROOVE以上に「B’zの稲葉浩志」ということの意味やアイデンティティを深く考えたくなる。と同時に松本孝弘という一人のギタリストの存在すら目に浮かぶ。

 

 

 

③サウンドについて


Ⅰ:WHOLE

②で書いたようなシンセのニュアンスはサム・ポマンティとプレクサスプレイによるところが大きい。そしてやはりこのアルバムがカテゴライズされたファンク・アルバムだとか、テクノ・ポップ・アルバムではなく、やはりハードロックという根本のフィーリングを保っているのは、Dr.ブライアン・ティッシーの存在だろう。

通常ポップな印象にするには、このブライアンのドラミングは向かない。しかしこのブライアンがいることで、そのサウンドの方向性は間違いなくサラスと稲葉の半ば共通言語のような「HR」に向くのだろう。

またベースは名手ジャコ・パストリアスに続く手数の多いアーマンド・サバル=レッコが務めている。そのことでUK的ニュアンスを保ちつつも、ハネたグルーヴを感じさせてくれる。

一方バンド全体のサウンドとしては、アメリカン・ガレージ経由のハードロックサウンドにも近く、前作よりも遥かに其々の主張は激しさを増し、このグルーヴ(=ここでは”間”)は正にINABA/SALAS の特許となりえた。

 

Ⅱ:INABA

まず驚かされたのは、このB’z稲葉浩志というシンガーの、情報量の多さだ。もちろんB’zというバンドがHR/HMに影響を受けていることは、これまでのアルバムや彼らの活動そのものから明白だけれど、一方でこのアルバムには②で書いたように、かなり多くのカテゴリ・バンドからの影響がある。

主観になってしまうけれど、この稲葉浩志という人は本当に音楽が好きなのだと思わされる。そしてそれはハードロックやメタルだけではなく、世界中のあらゆる音楽がその耳に色濃く焼き付いているのだな、と痛感させられるほどだ。この期に及んで30年以上のキャリアを誇るシンガーの声とは思えぬ表現力と、その引き出しの多さの前にはひれ伏すしかない。

今作では予想していた以上にヴォーカルに深めのリバーブがかかっていたり、ほとんどオーケストレーションにも感じられるほどの重なりがあったりするけれど、やはりディテール以前にグルーヴを優先させた結果とみている。しかし、この施しが少し残念に感じられる方がいるのもうなづける。

 

Ⅲ:SALAS

前作CHUBBY GROOVEではそのタイトル通りに、グルーヴが重要視され、そのアルバムにおけるグルーヴとはつまるところ「間(ま)」だった。そのため、サラスのギタープレイを聴きたい方にとっては、少し物足りなくも感じられたはずだ。

しかし今作では楽曲そのもののグルーヴをつぶさない程度の、ギタリストStevie Salasとしてのエゴイズムのようなものが垣間見れた(垣間聴けた?)ことが何よりも嬉しい。そして私の勝手なイメージでサラスは即断即決できるタイプでポジティブな人間だと思い込んでいた。しかし、割とこのサラスというギタリストは慎重でネガティブなタイプなのかも?などと思ったりした。

正直言ってColorcode以降、サラスは代表作と呼べるオリジナルも、サポートセッションもなかった。しかし今作でサラスのギタープレイが輝きを取り戻したように感じられ、大変に嬉しい。

 

 

そして歌詞に関しても思うことはたくさんあるし、稲葉浩志ソロではHadou、Singing Birdよりも、そしてB’zとしてはC’mon以降最も好きな詞なのだけれど、それについては書かない。言葉はそれぞれの感じ方があって然るべきだと考えているからというのもあるし、それをやるととてもじゃないけれど読めない量になってしまうからだ。

いずれにしても、こんなに聴き方が多様で、噛み続けても味がするアルバムはかなり久しぶりだ。細部に対するサラスのこだわりと稲葉の表現力と音楽に対する愛、そして彼らが交わった際の火花を感じてみてほしい。

 

 

 

④Maximum Huavoの後に聴いてほしいアルバム


Visage / Visage 1980

 

Gary Numan / The Pleasure Principle 1979

 

Ultravox / Vienne 1980

 

Stevie Salas / Colorcode 1988

 

Keziah Jones / Blufunk Is a fact 1992

 


この度はコンテンツをご覧いただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。

ワダアサト
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