前回から5回に渡りお届けする「ロックの歴史」。今回は第二篇となる「60’s~HRの確立とプログレ」までをお届けする。
第一篇「50’s~ビートルズ」はこちら。
①ローリングストーンズのデビュー
②60年代後半
③HRの出現
④70年代初期、HRの確立
①ローリングストーンズのデビュー
1962年にビートルズがデビューをしたその翌年の1963年、イギリスでデビューしたのがローリング・ストーンズである。
(出典:http://www.tapthepop.netより)
ビートルズが洗練された楽曲でポップな印象だったのに対し、ローリングストーンズは黒人音楽のR&Bやブルースを軸にして、暴力やドラッグを肯定するような楽曲を多く発表した。
つまり60年代の初期はビートルズとストーンズの時代だったとも言える。
ローリングストーンズ・ロゴ
(出典:https://www.barks.jpより)
1963年
そしてストーンスがデビューしたこの年、二つのアーティストがデビューする。それが、ザ・キンクスとヤードバーズだ。
キンクス(出典:https://www.udiscovermusic.jpより)
キンクスはビートルズ、ストーンズなどとは違い、ギター音に歪みをかけていた。そしてそのことが後のメタルやパンクのいわゆる「ロックっぽい」音像へとつながっていく。
そしてヤードバーズはジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ(後にレッド・ツェッペリン)という伝説的ギタリストを輩出。やがてエリック・クラプトンはヤードバーズ脱退後にクリームを結成。
1964年
そしてストーンズデビューの翌年、ザ・フーが衝撃的なデビューを飾る。ザ・フーのライブパフォーマンスは楽器を破壊したり大音量の出音をしたりすることで、聴衆の心をつかむようになる。
クリームに加えて、フーなどがデビューしたことでハードロックが徐々に確立されるようになる。
1966年
この年になると、伝説的ギタリストであるジミ・ヘンドリックスがデビュー。上述のヤードバースのギタリスト、ストーンズ、ビートルズなどとも親交を重ね、フェンダーのストラトキャスターを愛したことでも知られる。
(出典:https://j-d-burst.comより)
②60年代後半
1960年代後半になると、ロックンロールが商業的成功を勝ち取ったその裏側で、黒人音楽のR&Bは衰退していく。しかしスティービー・ワンダーの登場、黒人差別撤廃運動が重なり、R&Bはソウルへと形と呼称を変えていった。
この背景には先述の撤廃運動によって、黒人そのものの社会的地位が向上したことが深く関係している。
一方、アメリカ西海岸ではサンフランシスコを中心とした文化が興る。大麻やLSDを中心とするドラッグをきっかけに、幻想的で精神を拡張させる文化、サイケデリックが出現。
そのサイケカルチャーの中で、若い人々は鮮やかな色の服を着用し、共産主義から影響を強くうけたヒッピーがうまれる。
また当時、アメリカ進出を果たし、世界的な人気と確固たる地位を手にしていたビートルズのメンバ、ジョージ・ハリスンが、インドのカルチャーとヒンドゥーに深く傾倒していたのも、そのきっかけとなったとされる。
(出典:https://www.collegefashion.netより)
1968年頃
またサイケデリック・ロックに影響を受けていたのは後にプログレッシブ・ロックというジャンルを確立するピンク・フロイド(後に詳述)であり、この後にサイケからの脱却を図った。
1969年
そしてロックがカルチャーに影響を及ぼしていく中で、アメリカではウッドストック・フェスティバルが初開催される運びとなった。このウッドストックにはジミヘンをはじめとして、サンタナやジョー・コッカー、CSN&Yなどが出演した。
このフェスティバルはリベラル的であり、反戦的雰囲気を持つもので、ロックと左翼(当時)が深い結びつきにあることを決定づける一つのきっかけとなった。
③HRの出現
ハードロックの出現
60年代後半から70年代初頭にかけて、音楽シーンは大きな多様化の時代を迎えた。エレキギターやPAシステムの発達によって国、あるいは地域ごとに独自の音楽文化が発展し、ロックの構造も大きく変化していった。
そしてギター音を最大限まで歪ませたサウンドで破壊的で「強い」印象のロック、ハードロックが誕生した。
そのさきがけがレッド・ツェッペリンである。
1968年
ハードロックを体現したバンドは数あるが、先述したようにツェッペリンがデビューし、その後にヤードバーズの元ギタリスト、ジェフ・ベックグループがデビューしたことによって、HRという言葉、カルチャーは確立されることになった。
ツェッペリンはそれまでの音像とは違い、宗教性や黒魔術、哲学的リリックを強く押し出したグループであったが、ウッドストックで見られたリベラル的な歌の類をあまり歌わなかった。
ロックはリベラル的姿勢と反体制と深く結びつきを持ってきたが、彼らは神秘性を重要視し、政治的な方向での活動を行わなかったことも特徴の一つとして挙げられる。
またギタリストのリッチーブラックモアを中心としたバンド、ディープ・パープルがデビューしたのもこの年のことで、同時期には後にプログレッシブ・ロックの代表格となるキング・クリムゾン、そして現在に通ずるHMの体現者ブラックサバスもデビューしている。
④70年代初期、HRの確立
60年代後半、ツェッペリンをはじめとするHRバンドがデビューしたことで、HRは一気に加速、黄金時代へと突入していく。HRが確立されたことにより、ロックそのものには大きな変化が3つ訪れる。
⑴HR・HMの発達
ツェッペリンに続いて、HRの基盤を形作っていたのは先述のディープ・パープルである。
(ディープパープル:Burn)
パープルは時代によって、メンバーを度々変更しているが、サウンドの特徴としてはバロックからの流れを汲むコンチェルトなどを取り入れたことである。ツェッペリンの商業的成功によって、リッチーブラックモアがパープルの主導権を握った。
また70年にはオジー・オズボーンを中心として、ブラックサバスがHRの主導を行うようになる。ブラックサバスは黒魔術や「人を怖がらせる音楽をつくる」というコンセプトのもと、邦題:黒い安息日というオリジナルアルバムを発売。また、そのことによってメタルという概念が一般化していくきっかけとなった。
オジーオズボーン(出典:https://www.barks.jpより)
黒い安息日(出典:https://www.amazon.co.jpより)
⑵プログレの発達
1960年代後半、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンがデビューを果たす。それまでのロックは主にシングルが中心となった形態だったが、実験的で革新的なサウンドを求めた上記二つのバンドは、アルバム志向のロックへと傾倒していく。
ピンクフロイド(出典:http://www.billboard-japan.comより)
70年にはフロイドがアルバム「原子心母」を発売。そのことによってプログレは確立されていくようになり、前衛的なロックが発表されるようになった。
原子心母(出典:https://www.amazon.co.jpより)
プログレはギターを中心としたHRではなく、クラシックやジャズからの影響を多く受けており、曲の長さも20分というようになっていき、一つの芸術が誕生した。
⑶グラムロックの発達
HR、プログレが発達する一方で、また違ったロックの形を求めていったのがデビッド・ボウイである。男性が濃いメイクを施したり、けばけばしいスタイルはグラムロックとと称されるようになり、新たなロックを形作っていった。
デビッドボウイ(出典:https://rockinon.comより)
また同時期に活躍したのは、T・レックスやマーク・ボランである。ボウイは日本のデザイナー、山本寛斎の衣装などに身を包み、奇抜さをアピールした。「化粧をして演奏する」という行為は後のいわゆるV系へと繋がりをみせる。
そして70年代にはキッス、エアロスミス、クイーンといった御三家が登場、イギリスではパンクが生まれる。
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ワダアサト
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