FASHION

ファッションの歴史第五篇「1970年~パンクと黒の衝撃/現在」

 

全5回に渡りお届けする「ファッションの歴史」。いよいよ最終回となった今回は第五篇となる「1970年~パンクと黒の衝撃/現在」までをお届けする。

第一篇「古代~17世紀」はこちら

第二篇「フランス革命~第一次世界大戦」はこちら

第三篇「シャネル~第二次世界大戦」はこちら

第四篇「戦後~1970年」はこちら

 

 

1970’s

①プレタポルテの躍進

②ケンゾーとイッセイミヤケ

③アンディ・ウォーホルとファッション

④パンクの登場

1980’s

⑤女性の社会進出

⑥コムデギャルソンとヨウジヤマモト

⑦1990年代

⑧2000年代

⑨2010年代

 

 

①プレタポルテの躍進


フランス

これまで西洋ファッションの中心を担ってきたオートクチュールシステムは徐々に衰退していき、プレタポルテがファッションの中心を担うことになる。プレタポルテとは高級既製服のことを指し、既存のオートクチュールが【限られた顧客からの注文を受け、一点一点を手作業で製作していた】のに対し、プレタポルテは【卸売り業者から大量受注して生産する】というものだ。

またこの頃に活躍していたデザイナーはティエリー・ミュグレーソニア・リキエルなどである。70年代後半の川久保玲による「黒の衝撃」が、黒を一般的に着られるようにしたという言説もあるが、実際にはソニア・リキエルが「黒」を多用した洋服を発表している。

また、「黒」は事実上、喪服というイメージがあったが、ソニア・リキエル以前にはシャネルがリトル・ブラック・ドレスを発表するなどしており、コムデギャルソンがその先陣をきったわけではない。

 

イタリア

1970年以降、パリに集中していたファッションの中心はイタリア・ミラノ、アメリカ・NY、イギリス・ロンドンなどに多極化していき、東京やマドリードなども創造都市化していった。

ミラノでは60年代にヴァレンティノが登場、70年代にはジョルジオ・アルマーニヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレなどが活躍。

 

 

 

②ケンゾーとイッセイミヤケ


1973年

パリ・クチュール組合は組織の見直しをはかり、クチュール組合プレタポルテ組合メンズモード組合の三つの組織の統合を行い、そこにはカール・ラガーフェルドをはじめとして、先述のソニア・リキエル、ジャン・ポール・ゴルチエ、そして日本からは高田賢三が加入。高田賢三は西洋の既存の衣服構造から意識的に離れた非構築的(=デコントラクト)な構造や、日本の着物から着想を得たとされるレイヤード的手法を、フォークロアのテイストで発表していった。

KENZO’71(出典:https://www.pinterest.jp/より)

また社会的な多様化が進んでいったことで、コレクションではシーズンをいくつかの傾向(例えば=ラインやシルエット)でくくることが出来なくなり、消費者の動向を探るようになっていき、またワンシーズンで様々なイメージを提案するようになっていく。

ヨーロッパ諸国は産業革命と戦争による特需によって大きく成長した。しかしその一方で、日本国内では欧米コンプレックスが存在した。そんな中、日本人モデルの山口小夜子が、海外のファッションショーでも大きく活躍した。山口小夜子は「東洋の神秘」とも呼ばれ、瞬く間にアジア人としてはじめて世界のトップモデルへと駆け上がった。

山口小夜子(出典:http://www.kic-factory.co.jp/より)

 

1976年

この頃になると日本人デザイナーの三宅一生が、自身のブランドのコンセプトに「一枚の布」を設ける。衣服は一枚の布=二次元であるが、それがどう三次元の人体を包み込むのかという視点での服作りとなった。

三宅一生は多摩美術大学卒業後、パリに渡り、パリ・クチュール組合の運営する学校で学んだ。また、彼のファッションには建築などの他分野との関連性が強く、彼を評価したのはファッション業界人だけではなかった。そしてプリーツ・プリーズやA-POCといった革新的な衣服をデザイン、A-POCは生産/流通から購入までのプロセスをデザインしたものだった。

A-POC(出典:https://www.moma.org/より)

 

 

 

③アンディ・ウォーホルとファッション


1970年代

アメリカ・NYではヒッピー・ムーブメントの影響を受け、Tシャツやベルボトムのジーンズがトレンドとなり、エスニック・フォークロアテイストの洋服が好まれた。

またポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホルが大きな注目を集め、彼の作品はファッションとも密接に関わり合い、新しいポップテイストなファッションスタイルが登場。ウォーホルは、70年代の大量生産社会に対し、極めて皮肉的な作品を制作していった。

A.W・キャンベルスープ缶(出典:https://www.artpedia.jp/より)

 

 

 

④パンクの登場


1970年後半・US

アメリカ・NYではアンダーグラウンドシーンで人気を得ていたバンド、ニューヨーク・ドールズヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどが活躍。攻撃性と反社会性を持ち得ていた、その音楽性はやがてロンドンに持ち込まれることとなる。

1970年代・UK

イギリス・ロンドンではビートルズが世界的な地位と名声を手にした後、グラムロックを形作ることとなるデヴィッド・ボウイなどが活躍。またT.REXなどがグラムロックを率いて行く中で、マルコム・マクラーレンヴィヴィアン・ウエストウッドがキングスロードにセックスというショップを開店。

そこに集まった若者はバンドを組み、センセーショナルなスタイルでその活動を続けていき、やがて彼らはセックス・ピストルズと名乗ることとなる。そしてラモーンズダムドザ・クラッシュなどがその流れをより拡大化していった。

セックス・ピストルズ(出典:https://hog.103tommy.com/より)

この流れはパンクと呼ばれ、当時失業者が増加していたイギリスでは大きな社会現象となった。そして後進のファッションにも影響を与えて行く。(※しかし、ピストルズのメンバーは、「思想的なアナーキーではなく、音楽的アナーキー」ということを述べており、必ずしも思想性が確実なものではなかったとされる)

 

 

⑤女性の社会進出


1980年代・US

NYではカルヴァン・クラインが目覚ましい活躍をする中、ラルフ・ローレンダナ・キャラン、アナ・スイ、後にヴィトンを手掛けるマーク・ジェイコブスなどが大きく躍進した。

 

1980年代・UK

シャネルのチーフディレクターに、カール・ラガーフェルドが就任。クチュールメゾンにおいて、格式高いシャネルへの抜擢は、プレタポルテの波に押され衰退気味だったオートクチュールの運営の在り方を提示した。また女性は社会へと進出するようになり、クロード・モンタナ、アズディン・アライアなどの手によって、パワフルな女性像の象徴としてボディ・コンシャスが形作られていった。この流れは日本におけるボディコンブームへと繋がり、バブルの象徴となった。

一方で、ジャン・ポール・ゴルチエクリスチャン・ルクロワの二人のデザイナーが、クリエイティビティを武器にし、過去の産物やセクシャリティなどを組み合わせ、革新的提案を行っていった。

またミラノではドルチェ&ガッバーナが活躍。

 

 

 

⑥コムデギャルソンとヨウジヤマモト


1980年前半

この頃になると、日本のブランドである川久保玲のコムデギャルソンヨウジヤマモトがパリに進出。当時華やかだったパリのファッションに対し、彼らは陰鬱で一切笑わないモデルに穴が開いた洋服を着せてランウェイを闊歩させた。パリのジャーナリズムは一斉に批判を展開し、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は彼らのファッション写真の上に大きなバツをつけた。

コムデギャルソン(出典:https://zhuangfu.hatenadiary.org/より)

しかしその一方で、アントワープ王立芸術アカデミー出身のデザイナー、所謂アントワープ・シックス(アン・ドゥムルメステールドリス・ヴァン・ノッテン等)には高く評価され、ファッションにおける革新派も彼らを評価した。また後にアヴァンギャルド路線に移行するマルタン・マルジェラなどにも大きな影響を及ぼした。

※このあたりの話は非常に面白いので、別の機会に詳細を書きます。

 

1985年

東京コレクションの組織的運営を目的として、川久保玲、山本耀司、森英恵、山本寛斎、松田光弘、三宅一生が発起人となり東京デザイナーズ協議会(CFD)が結成された。東京はバブルの影響もあってファッションビルが乱立。パルコやラフォーレ原宿などを中心にして、DCブームが最盛期を迎えた。

 

 

⑦1990年代


コングロマリットの形成

80年代終盤から90年代にかけ、ファッションはクリエーションよりもビジネスにおけるマーケティングが重視されるようになった。80年代に入るとPCを中心とした情報化社会がスタートし、巨大金融資本がブランドの運営に支配的な役割を果たすようになった。LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・エ・ヘネシー)グループやPPRなどの巨大なコングロマリットが形成されていった。

またエルメスはマルジェラを、ジバンシー、ディオールはジョン・ガリアーノアレキサンダー・マックイーンを起用し、古いファッションブランドがイメージを刷新させ、成長していった。

 

グランジの台頭

一方70年代パンク、80年代メタルの波が影響力を低下させると、アメリカではサウンドガーデンニルヴァーナをはじめとしたグランジ・ロックが台頭。地球規模の環境汚染と大量消費文化への反発を、古着などの再構築によって表現し、マルジェラマーク・ジェイコブスなどがグランジファッションを形作っていった。

またリアルクローズへの傾向を強めていく中で、NYからはジル・サンダーヘルムート・ラングなどが活躍する。特にラングとフセイン・チャラヤンはファッションにおけるミニマリズムを完全に確立した。

 

日本のファッション

90年代初頭の日本ファッション界はバブル崩壊に伴い経済状況は決してよくなかった。川久保玲が91年に東京デザイナーズ協議会を脱退、山本耀司は完全にパリのみでのコレクションを行うようになる。しかし95年になると経済産業省のバクアップによって日本ファッションウィーク(JFW)がスタート。東京コレクションには裏原ブームを牽引する高橋盾が登場。津森千里や丸山敬太、ギャルソン社からは渡辺淳弥などが活躍。

 

セレクトショップとSPA

また原宿を中心にしてセレクトショップが乱立。独自のコンセプトを持つセレクトショップは、大きな影響力を持つようになる。そんな中、アメリカのGAPなどがSPAというシステムを導入。(=製品の製造から流通、販売までを自社で行うこと)2000年代にかけてザラやH&Mなどが世界中にストアを展開した。またファッションのリーダーはデザイナーなどからスタイリストやセレクトショップのバイヤーなどに移行し、同時に野口強や裕真朋樹などが活躍。

 

 

 

⑧2000年代


クリエイティブ・ディレクターの存在

これまではデザイナーが洋服のデザインを行い、一方で経営者がビジネスのかじ取りをするという仕組みだったが、クリエイティブ・ディレクターによってマーケティングやプロモーション、ブランディングなども担うという流れが形作られていった。グッチを再生させたトム・フォードやヴィトンのマーク・ジェイコブス、ディオール・オムのエディ・スリマンなどがこれに当たる。

エディ・スリマン

エディ・スリマンは常にクリエイティブ・ディレクターという肩書で、ファッションにおける多くの潮流を起こし、アメリカではトム・ブラウンが注目を集めた。

トム・ブラウン(出典:http://zoomupcollection.com/より)

 

ファストファッションの登場

90年代からファッションにおけるグローバリゼーションは進行し、SPAを軸にするグローバルブランドが活躍。先述したザラやH&Mの他に、フォーエバー21、トップショップなどが台頭。日本ではユニクロが大きな売上をとるようになり、世界進出を果たす。

その反面、日本独自のファッションカルチャーが原宿を中心に興り、ゴス・ロリファッションやKawaii文化などが生まれた。

 

そして2010年代に入ると日本では東日本大震災が勃発。ファッションにも大きな影響を与え、人々の心の在り方も変化した。またストリートが全盛となり、モードを追い越すほどの力を持つようになった。もうすぐ来る2020年代に向け、ファッションはどんな変化を見せるのか。ファッションは常に時代を映してきた。政治やロック、そういったカルチャーとも密接に関連していることがお分かりいただけただろう。今後もしかと注視し続けたい。

 

all text : ワダアサト


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