FASHION

ファッションの歴史第四篇「戦後~1970年」

 

全5回に渡りお届けする「ファッションの歴史」。今回は第四篇となる「戦後~1970年」までをお届けする。

第一篇「古代~17世紀」はこちら

第二篇「フランス革命~第一次世界大戦」はこちら

第三篇「シャネル~第二次世界大戦」はこちら

 

 

①クリスチャン・ディオールの登場

②バレンシアガとジバンシー

③サンローランが独立

④若者とビートルズ(60’s)

 

 

①クリスチャン・ディオールの登場


1944年

フランスは約5年間にわたるナチス・ドイツによるパリの占領という屈辱の上、1944年にドゴール将軍がパリに入ったことで、市民たちは自由を手に入れた。戦後すぐのファッションの主流は、戦時中の傾向を残したミリタリー調のテーラードスーツ、44年頃から流行したワンピースとなった。

この年にパリのオートクチュール組合は戦後復興と産業再興のために動きはじめた。

そして3年後の1947年、デザイナーのクリスチャン・ディオールが独立。2月にはファーストコレクションを発表し、そのクチュールコレクションは、雑誌社の編集長にニュー・ルックと名付けられた。

ニュー・ルック(出典:https://xtreeem.com/より)

また、クリスチャン・ディオールはシーズンごとにラインというテーマに沿った洋服を発表した。そのことによってトレンドは分かりやすい形に落とし込まれ、後のファッションブランドの通例「シーズンごとのテーマ」というものが設けられたとされている。

Aライン、Hライン、Yラインなどというように、多種多様なファッションスタイル=ラインを生み出し、女性の身体に関わるあらゆるシルエットの試みを行った。そのこともあり、ディオールは1957年までの約10年間、パリ・オートクチュールの頂点に君臨した。

 

シャネルとディオール

シャネルは第二次世界大戦の影響をうけ、スイスに亡命しており、ファッション業界からは完全に距離をとっていた。しかし、終戦後の1954年になるとパリに戻り、ディオールと競うようにしてシャネル・スーツを発表。メディアの反応はいいものではなかったものの、女性服に機能を付随させるという点で後に評価されていくこととなる。

シャネル・スーツ(出典:http://high-brands.com/より)

 

 

 

②バレンシアガとジバンシー


1950年

この時代は先述したように、オートクチュールではディオールが帝王として君臨していた。しかしそんな中、ディオールに対抗できるほどになったデザイナーが一人いた。それがクリストバル・バレンシアガである。

バレンシアガはスペインに生まれ、スペインでショップを構えていたものの、31年にスペイン王朝が没落したことで顧客を失い、パリへ移動。メゾンを開店した。

バレンシアガの作る洋服は極端なまでのシンプルさが際立っており、シーム(縫い目)の数は最小限となり、ディオールの作る女性の身体的な美からは距離を置いた位置にいた。

バレンシアガ(出典:https://www.kci.or.jp/より)

 

ジバンシー

一方、バレンシアガから多大な影響を受けたデザイナーの一人にユベール・ド・ジバンシーがいる。バレンシアガがシンプリティを強調する洋服を得意としていた一方で、ジバンシーはそのシンプリティにエレガントな感覚を足し、バレンシアガの正当な後継者となった。

また、麗しのサブリナの主演女優、オードリー・ヘップバーンに多くの映画衣装を提供し、エレガンスを如実に上限するデザイナーとして確立された。

ジバンシー(出典:https://gqjapan.jp/より)

 

 

 

③サンローランが独立


1957年

ディオール社は20年代のシャネルシャネル以降の動きに見習い、アクセサリーや香水などの低単価の商品を販売し、ブランディングを行った。そのことでビジネスも巨大化したが、57年にクリスチャン・ディオールが急死。メゾンは誰がディオールの跡を継ぐかという会議の末、イブ・サンローランをチーフ・デザイナーに決定した。

しかしサンローランはアルジェリアで勃発した独立戦争のために徴兵される。そのことでディオール社は彼を解雇。しかし戦争から戻ったサンローランは、パリに自らのメゾンを開店。1962年のことだった。

 

1965年

独立した三年後のこの年に、サンローランは代表作となるモンドリアン・ルックを発表。また現代アートとファッションの距離をぐっと縮めた。

サンローラン(出典:http://midcenturymodern.blog110.fc2.com/より)

 

 

 

④若者とビートルズ(60’s)


1960年代

この頃になるとイギリスではビートルズローリング・ストーンズをきっかけにし、ロックンロールがユースカルチャーに多大な影響を及ぼす傾向が強くなる。イギリス・ロンドンにはファッションショップが開店し、10代の若者たちが集まるようになった。

カーナビー・ストリートやキングスロードはカウンターカルチャーの中心となり、モッズと呼ばれ若者を中心とした文化が醸成されはじめる。

 

ミニスカートの流行

1961年になるとマリー・クワントがキングスロードのショップ・バザーでミニスカートを発表。そして65年にはアンドレ・クレージュがパリコレクションで発表。その出来事をうけ、ミニスカートはトレンドの中心的存在となった。67年にはミニスカートをまとったモデル・ツィギーが来日し、日本でも同じようにミニスカートが流行した。

ツィギー(出典:https://cinemagene.com/より)

60年代におけるビートルズは、若者におけるファッションに多大な影響を与え続け、彼らのスタイルが変化するとティーンズも同じようにスタイルを変化させた。またアメリカに進出したビートルズはジョージ・ハリスンの影響下のもと、サイケデリックカルチャーに心酔。イギリス・ロンドンでも同じくサイケデリックなファッションが流行。

ヴェトナム戦争や様々な公民権運動のもと、サイケと影響し合い、ヒッピー・カルチャーが勃興した。

 

 

そして時代は1970年代へと突入。この時代にはセックス・ピストルズなどの影響でパンク・ムーブメントが興る。日本人デザイナーの高田賢三や三宅一生などがパリで活躍。80年代に入ると川久保玲、山本耀司の両名が活躍し、一連のムーブメントを起こす。次回はここを中心に書き尽くしていきたい。


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