Rock

圧倒的な自由の権化、ジミヘン

 

以前、とある後輩と話をしていた時のことだけれど、私がジミヘンの話を持ち掛けた。しかし彼は「ジミヘン」を知らなかった。その後輩は音楽もそれなりに聴くし、ファッション(主にストリート)への造詣も深い。確かにジミヘンがストリートに多大な影響を及ぼしたということはあまり聞かない。

だが、弊社Twitterをフォローしてくださっている方や、恐らくは30代以上の方の多くが「ジミヘン」の存在を知っている。人によってはビートルズと並ぶ音楽界の超・重要人物だ。聴いたことがないとしても、その存在は「知っているはずだ」というのが、私の考えだった。

しかし、それは意外にも意外、若い方でジミヘンを知らない人は多い。これぞまさに「当たり前だと思っていたことが当たり前ではなかった」ということの典型であり、半ばジェネレーションギャップなどというものを感じざるをえなかった。

今日はそんな「ジミヘン」のお話。

 

 

①ジミヘンという人

②圧倒的な自由の存在

 

 

①ジミヘンという人


Jimi Hendrix
(引用:https://guitar.com

Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)はアメリカ・シアトルで誕生したギタリスト。27歳という若さで亡くなるまでの凡そ10年間という活動期間にもかかわらず、後進のギタリストやその他のロック・ミュージシャン、そしてロック以外のジャンルにも多大な影響を及ぼした一人だ。

没後50年を経た今でも、ロック史上最高のギタリストとして評価されており、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大なギタリスト」において、数度一位を獲得している。

ジミヘンはイギリス・ロンドンを中心にオーディションを行い、1966年にThe Jimi Hendrix Experienceを結成。「Hey Joe / Stone Free」でデビューする。翌年1967年にアルバム「Are You Experienced」を発表。

Are You Experienced 1967

続く同年にはアルバム「Axis: Bold As Love」をリリース。ジャケットからも分かるようにブルース、ロックンロールの要素にサイケデリック・ロックをアプローチさせ、独自のスタイルを確立していく。

Axis: Bold As Love 1967

ジミ・ヘンドリックスがここまでの評価を受ける大きな要因には、もちろんその卓越したギター・プレイがあることは間違いないが、一方でギタリストとしてのみならず、コンポーザーやアレンジャー、更にはレコーディング・エンジニアとしても稀有な才を兼ね備えていたことが挙げられる。加えて、多彩で幅の広い表現力、ブルースとロックンロールを融合し、ツェッペリンやクラプトン率いるクリームなどと共にハードロックの原型・基礎を形作ったことにある。

また既にジャズの名手として動きようのない地位にあり、「帝王」と呼称されることのあるマイルス・デイヴィスの他、様々な世界的ミュージシャン/ギタリストの多くがジミの才能を理解し、そして一目置いていたことは様々な史料にて解き明かされている。

 

 

②圧倒的な自由の存在


これはあくまでも史実ではなく、OMOTE TO URAの考え方になってしまうが、ジミ・ヘンドリックスの奏でる音楽には「圧倒的な自由」が介在しているような気がしてならない。音楽はこうでなければならない、ハードロックはこうでなければならない、これはメタルじゃない、などという様々な「境界」あるいは「決めつけ」というものが取っ払われており、極めて自然な自由が存在する。

私がジミヘンの作品を最初に聴いたのは高校三年生の頃だったが、その時の感情の高ぶりを今でも感じることが出来るし、縦横無尽に駆け抜けるそのサウンドはとにかく衝撃的だった。パープルやツェッペリンなどのクラシカルなハードロック(時代で言えばジミより新しい)より、定型が存在せず、そして何より新しかった。

数十年も前の作品なのに、新しさを感じることができる────。

このことが音楽の持つ本質の喜びのような気がしたと同時に、心に響くかどうかが音楽の全てではないかと思った記憶がある。

 

もちろんジミ・ヘンドリックスがディストーションのかかった歪んだサウンドをハードロックに経由させるその先駆けだったことは、疑いようがない。あるいはジャズのリズムと即興演奏をロックンロールに持ち込み、ペイジと共にアドリブ演奏のスタンダードになり得たことも疑いようがない。

またストラトキャスターによるギタープレイと、ワウを利用した音質の連続的な変化、トーンを歪ませるファズなどを利用していたことも確かだ。

しかし、言ってしまえばそれらは全てロジックでしかない。あくまでもロック史あるいはポップ史に並列する、サウンド上の発明的なフォーマットとも言える。

 

難しい顔をして眉間に皺を寄せて、音楽を理論的に解体していく評論やそういう世界線があることは理解しているし、その必要性も当然ある。

だが少なくとも私は、ジミ・ヘンドリックスの作品を聴くと、誰かには理解できて、誰かには理解できない言語や知識、そういうものが無意味に思えてくる。音楽は全ての人に平等に与えられた機会であり、そこにのめりこんでいくか否かは単なるタイミングの問題でしかないように思える。

食器を洗いながら、あるいは洗濯物を干しながら、ただその音がそこに存在して寄り添ってくれることが「自由」であることの証明であるように感じる。

 

皆さんには、そんな「自由」つまりは現実世界をつい忘れてしまうような音があるだろうか。ある方はこれからもそれを楽しんでほしいし、ない方は是非、ジミ・ヘンドリックスを聴いてみてほしい。

 


この度はコンテンツをご覧いただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。

ワダアサト
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